鷲尾レポート

  • 2022.01.21

「一層したたかな外交とは」に関する推論

少し前、岸田首相が、一時帰国中の垂中国駐在大使からブリーフィングを受けた。その内容についての記者からの質問に、首相は「したたかな外交が重要だと教えてもらった」旨を返答。それを読んだ筆者は、総理も人を食った返事をされたものだし、それをそのまま記事にした記者も「何を考えているのか」と驚き、呆れた。

 

安倍政権下での外相歴が長い岸田首相が、何を今更、「対中外交でしたたかさが重要」などと、自明の事柄を言葉にするものか・・・。恐らくは、対中関係が緊張している今、首相の方から大使を赴任地から呼び戻したのであろうし、それならばそれなりに、「中国政治内部の詳細な動きが首相に報告されたはず、場合によっては、中国側からの岸田首相へのメッセージを託されていたかもしれない」、そう考えるのが常識だろう(注)。

 

(注)首相と大使との会談は、中華料理の場で、僅か30分。大使からは「欧州主要国の首脳は、2ヶ月に一度程度、オンラインで中国首脳と語り合っている」とか、「欧州企業は中国で自由に動いている」などの話しが披瀝されが、筆者が期待しているような遠望が語られたかどうかは解らない。それでも筆者は、そうした類の話も出たと期待している。

 

足下を眺め直せば、失われた30年で、世界における日本の立場が、如何に弱体化したか・・・。コロナ禍を経験する中、そんな実像が次第に明らかになってきている。

例えば、昨年秋の日経大機小機欄(12月8日)の指摘で曰く、「平成の30年間で、日本のGDPが世界に占めるシェアーは10ポイントほど下落し、今や世界の6%にまで落ち込んだ・・・。この間、給与レベルは横ばいに推移し、一人当たりGDPも、シンガポールや香港の後塵を拝し、豊かな国から脱落しつつある(確か、世界17位に凋落したはず。筆者注、以下同じ)・・・。研究開発力も低下の一途(一橋大学の試算では、1985年~2009年の間で、研究開発費を最も減らし続けたのが日本企業だった)・・・。嘗ては世界ランク表に名を馳せていた日本企業も、今やその数を大幅に減じている・・・。ジェンダー・ギャップも、世界で120位という情けない状態だ・・・」等など。

 

世界に誇っていた外貨準備第2位の地位も、今や3位のドイツに抜かれかねない状況。一人当たり国防費では韓国に抜かれ、世界最大の援助大国の地位も、既にかなり色褪せている。少子高齢化が進み、嘗ての成長時を知っている高齢者は、現在の状況に不安を覚える一方で、自己の生活保全に廻って、消費よりは貯蓄に走る。他方、生まれてからこの方、成長を知らない世代は、ともかくも現状を維持しようと、政策の変化指向には抵抗感を示し、現状は自己の力で改善する他ないと、せっせと株式投資に励む。しかし日本の株式市場そのものは,欧米の伸びに大きく後れを取っている。

こう観てくると、昨年の衆議院選挙での投票分析に、高齢者の自民党批判、若年層の野党批判が表れているのも宜なるかな、というべきだろう。極論を承知で記せば、1980年代の日米通商摩擦を契機とする、日本の失われた30年は、実態上からも、世界からみた日本のイメージの面からも、日本の力をそれだけ削ぎ落としてしまったのだ。顰蹙覚悟で記述すれば、1980年代半ば以降の日本は、経済敗戦から立ち直れていない。つまり、その分、外交資源も減少している。

 

こんな事を考えていると、筆者の頭に、“長篠とアルマダの前と後”という対比イメージが浮かんできた。日本の戦国時代、長篠合戦の前、武田の騎馬隊は無敵だった。同様に、アマルダ海戦の前、スペイン艦隊には、敵なしのイメージが確立されていた。ところが、織徳連合の鉄砲隊の前に武田の騎馬隊は壊滅し、平穏な地中海しか経験せず、ガレー船と小銃を主武器としていたスペイン海軍は、大西洋の荒波で鍛えられ、帆船と大砲を積んだ英国海軍に大敗した。

時あたかも、日本では、農作から商業へと、欧州でも、採取から市場に、経済メカニズムが変わる、そうした端境期だった。結果、負けた武田勝頼は、以後、敵対相手にいくら調略を仕掛けて、相手はそれを無視する様になり、スペインのフェリッペ2世も、世界への影響力を大幅に落とすことになった。

もっとも、こんな先例を挙げるまでもなく、日本の指導者達も、力を相対的になくした自国の立場が、如何に対外影響力の減少に連なっているか、先刻承知のはずだ。何故なら、政治家とは、自己と相手の立場の強弱を先天的に測るように出来ている人たちなのだから・・・。

 

日本の戦略環境は、直近、大幅に悪化している。米中対立が激化し、中国とロシアが連動する動きを強め、北朝鮮は極超音速のミサイルを連射し続けている。日本の前面は、そんな国々ばかり。だから、日本の立場が相対的に弱体化する中、国防体制も、米国の後ろ盾強化を前提に、大幅に変質させざるをえない。

嘗ては、憲法上、議論もままならなかった、敵基地攻撃能力整備に、大急ぎで着手し始めたようだし、米軍基地への“思いやり予算”の中に、初めて共同演習費が計上された等と、マスコミは報じている。

台湾情勢を巡る、想定シナリオ演習も、恐らくは始まっているだろう。インテリジェンスの専門家によれば、2020年10月に行なった米軍の机上演習では、台湾防衛に失敗する結果となったという。最近のNHKの特番放送でも、どのようなシナリオだったかは解らないが、日本側にとって、「ウム・・・」とうなる結果だった様が描かれていた。

 

結論は、極めて明確だ。万が一のことを考え、防衛体制に万全を期す。その上で、万が一のことが起らないように、あらゆる手段を講ずる。日中間でも、そんな基本姿勢の必要性では、恐らく、双方とも共通認識を持っているのではなかろうか。

日本の新聞報道によると、昨年10月の日中首脳間での電話会談で、習主席は岸田首相に「仁に親しみ、隣に善くするは、国の宝なり」と、話しかけたという。同じ様なやり取りは、中国の王外相と日本の新外相との間でも行なわれたようだ。

そうしたルートでの、中国側のメッセージは「日本の米国との関係重視は十二分に理解、しかし、同時に、日本は、中国とも如何に旨くやって行くかを考えるべきだ」といったものだったのではなかろうか。そう考えると、外交とは、軟弱な地盤の上に、ガラス細工の如き構築物を立てる、まさに専門家の職人芸を要する世界なのだと知れる。

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