鷲尾レポート

  • 2022.02.08

コロナ禍対応策と体制間競争、シーシュポスの神話を深読みすれば・・・

疫病が社会変革の切掛けとなる。歴史にそんな先例を求めると、誰もが思い浮かぶのが中世の欧州を襲ったペストだろう。“Why nations fail”という本によると、その経緯は次のようなものであったそうな・・・。「1346年、黒死病(腺ペスト)が、黒海沿岸のタナに到達した。クマネズミに寄生する蚤を介して、シルクロードを旅する商人達によってアジアから運ばれた・・・。1347年初頭には、コンスタンチノープルに、1348年の春には、フランスと北アフリカに拡がり、イタリア南部にまで・・・。ペストは各地で人口を半減させながら、その後はイングランドに・・・、そして、イングランドでも人口は半減した・・・」。

 

「イングランドの或る荘園では、ペスト蔓延の下、辛うじて2人の小作人が生き延びた・・・。彼らは領主に、自分たちと新たな協定を結ばなければ荘園を去ると通告した・・・。領主は彼らの要求を受け入れた・・・」。労働力が希少化し、荘園間で労働者の奪い合いが激化したという客観状況が、その種の要求を領主が受け入れる背景にあった。言い換えると、労働市場の誕生である。後はお定まりの政治プロセスが続く。労働者の力が強くなるのを防ぐため、領主達は政治的圧力に頼り、英国政府は労働者規制法を制定、これに抗する農民一揆が起り、結局、政府介入は失敗、そうした流れが英国での名誉革命や産業革命を産み出すことになる。

 

ここで歴史は、見事な対比例を作り出す。西欧が市場経済化・議会制導入の方向に進んだのに、東欧では逆の方向に事態が後退する。ペスト後、東欧では、封建領主間の勢力争いで、弱小領主が淘汰され、一部の領主が一層強大になっていった。更に、人口減少で都市は弱体化し、労働者は既に得ていた自由すら奪われる羽目となった。1500年頃になると、西欧が、そんな東欧で生産される農産物を輸入し始める。国際分業の始まりであり、交易による役割の固定化であった。結果、東欧の領主は交易の利益を独占し、労働者支配を更に強めることとなる。つまり、言いたいのは、状況の変化に社会が如何に対応するか、当初の相違は僅かでも、一旦、社会がその方向に変貌し始めると、累積効果は大きく違ってきて、近世の西欧と東欧の違いが明白となってしまうのだ。今回の、世界的なコロナ禍でも、事への対処の仕方如何で、将来、恐らく同じ様な累積的影響差が体制毎に、顕在してくるに違いない。

 

その様な目で眺め直すと、コロナ禍を強権で押さえ込む姿勢が鮮明な中国やロシアと、コロナとの共生を試行せざるをえなくなっている米英などの自由主義国との違いも、いずれは中世の黒死病と同様な、影響差の累積を通じて、一層異質な体制間の対立を惹起してしまう可能性が大いにありうると思えてくる。米欧が強権国家への対立感情をむき出しにし、中ロがそうした姿勢に強く反発するのも、案外、そうした流れをそれぞれ本能的に感知しているからに他ならないのではないか・・・。

 

社会とその骨格とも言える制度との間には、得も言われぬ不条理がある。筆者が初めてニューヨークに駐在した頃、米国の政治に興味を覚え、当時、主立ったアクターの一人だったロバート・ケネディー(前司法長官:当時)のエッセイ集を、本屋でたまたま手に取る機会があった。その中でケネディーは、シーシュポスの神話を引き合いに出して、政治の不条理を論じていた。

 

アルベール・カミューの描く「シーシュポスの神話」では、シーシュポスは神々の怒りを買い、大きな岩を山頂に運び上げなければならないという罰を受けるのだが、岩は山頂に運ばれるや否や、その瞬間、山頂から転がり落ちてしまう。それを、シーシュポスは再び裾野から押し上げる。だが岩は亦、山頂から転がり落ちる。この無限の、成果を生まない努力こそが、政治の本質だと、ケネディーが論じているのだと、若き頃の筆者は受け止めた。つまり、社会は常に、その機能を維持するために制度や慣行を必要とする。ところが、一方、社会には安定すると停滞するという特性がある。安定は固定となり、固定は停滞の源となる。それ故、社会を進化させるためには、固定を打破しなければならず、神々は、岩を山頂から常に転げ落ちる様に仕向けるのだ。カミューは、これを不条理と捕らえたが、現実志向の政治家はこれを、社会における政治の役割の中で捕らえ直したのだろうと・・・。

 

コロナ禍は、現代史の中で、後の社会に大きな累積的影響をもたらす事例となるだろう。人口の増減に影響し、人々の価値観の変化を通じて、社会の生産・消費行動の在り方を大きく変え、政治への信頼という面でも、多大な後遺症を残すだろう。それを、独裁権力はその基底を脅かされる驚異と感じ、民主制の側でも社会の分断助長を促進する薬物だと見做すのだ。こう考えると、我が国の指導者が「資本主義の将来」を模索しなければならないとの問題意識を打ち出したのも、存外、的を外してはいない、というべきか。

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