鷲尾レポート

  • 2022.03.28

独裁者プーチン、その政権運営スタイルについての一考察

昨年秋以降、今日のウクライナ侵攻に至る迄の、プーチン大統領の政治指導ぶりを、各種マスコミの映像で観察していると、おかしなことだらけ。

 

例えば、初期、フランス大統領を迎えての会談などでは、二人は、異常に長い長方形の机の両端に座っていた。ロシア側の説明だと、コロナ感染を警戒してとのことだそうだが、その遠い座席の配置は如何にも不自然。同じような、否応なく距離感を感じさせる座席の配置ぶりは、プーチン大統領と側近たちとの会談でも、或いは、大統領とロシア議会の議員たちとの会談の場合でも、全く同じ。

不自然さは、主要な政策課題を議するはずの、閣議の場でも看取された。それは、対面ではなく、リモート形式での会議だったからだ。それぞれが遠隔地にいるわけでもなく、恐らく全員がモスクワにいる。そんな場合でも、リモート会議形式を採用する。そして、この種の、大統領と他の参加者たちとの間を、不自然に隔てるやり方こそ、プーチンの独裁者ぶりを象徴し、且つ、自身が一段と高みに立とうとする意思を化体するものだろう。

 

そうした連想中、ふっと思いついたのは、江戸幕府開府前後の徳川家康の統治スタイル。あの当時、家康は大阪城への睨みを利かすためもあって、駿府に在城し外交を担当、後継者秀忠を江戸に配して内政に当たらせた。一方、駿府と江戸とでの統治分担が、二重権力を生むのを恐れ、側近中の側近、大久保忠隣と本多正信を秀忠の周囲に置いて江戸老中とし、後継者秀忠を自らの意図で縛る体制を構築、他方、自らの周囲には使いやすい駿府老中を、正信の子正純を中心に配した。そうしておいて、自らは東昭大権現として、神の座に昇ろうとした。

 

かく考えれば、地球儀の東西を問わず、或いは、歴史の前後を通じ、世の独裁者の思考には、ある種の共通性があるようだ。それは、自らを一段の高みに置き、部下たちには横連携をさせない。そして、専制君主としての自らの意向を、組織内に一方的に落とし込む、そんな組織秩序を創設しようとする性向である。もっとも、家康の場合、結果として、江戸在住の大久保忠隣と本多正信の対立【後年には、二代将軍秀忠の、本多正信の息子正純への怨念】を生んでしまうことにもなるのだが…。

 

折に触れ、プーチン大統領の行動を外野席から眺めていると、どうも彼は、自らを強い指導者と位置づけたがる、そんな性癖があるようだ。それが、柔道を好み、水泳で筋肉を誇り、バイクを走らせる等の、マッチョなイメージ創りと結びつく。そうしたイメージは亦、精神的タフさを売り込むことで補強される。更に、そんな志向は当然に、偉大なロシアの再現を目指す対外政策と結びつく。つまり、プーチン大統領にとっては、指導者としての自己イメージの確立と、自分が指導するロシアの対外姿勢とが一体化してくるのだ。言い換えると、強い指導者としての自己の力で、ロシアの勢力圏と見做す、旧ソ連邦諸国をロシア中心の秩序の中に再び呼び戻し、以て、安全保障面で、それら諸国をロシアの外壁と位置付けようとするわけだ。そんな発想の根底では、ソ連崩壊後のロシアの惨めな姿が、トラウマとなって彼の愛国者魂に火をつけている。

 

更に、違った眼鏡を用いれば、筆者には今回のプーチン大統領のウクライナ侵攻が、第二次大戦中のヒットラーの、独ソ中立条約を一方的に破棄してまでの、ソ連侵攻の意思決定ぶりとダブって見える。あの当時、ドイツ国防軍内には一つの共通認識があった。それは、西部戦線と東部戦線、この二つを同時には追求しないというもので、第一次大戦の敗北から得た重大な教訓だった。それを、ドイツ国防軍は簡単に廃棄してしまう。ヒットラーは、国防軍にどんな手を用い、軍内の共通認識をいとも簡単に捨てさせ得たのか…。

 

答えは簡単だった。総統と軍幹部との関係を、あくまでも一対一に位置づけ、軍全体との協議にしなかったのだ。例えば、ある案件に関し、ヒットラーは特定のAという将軍に下命する。別の案件は、Bという将軍にという按配。決して、軍組織全体としての精査を加える余地を与えない。AなりBの将軍の立場に立てば、総統だけが知っている秘密情報があって、勝てると総統が判断したからこその、この下命だ、との認識となり、自己免責の精神が生まれる。つまり、ヒットラーは、情報の非対称性をうまく活用したのだ。

 

今回のプーチン大統領のウクライナ侵攻決定の際にも、恐らくは同じ様な手法が使われたのだろう。大統領から侵攻のための動員を命じられた将軍の胸には、「ウクライナは侵攻すれば直ぐに音を上げる。以前のグルジャの場合も、クリミアの場合も、抵抗らしい抵抗もせず、直ぐに白旗を上げたではないか…。大統領の手元には、そんなウクライナの自己崩壊の予兆情報がたくさん集まっている…。そんな情報に基づいて、大統領は決断した」といった類の自己解釈が満ち溢れたはずだ。ところが、実際はそうではなかった。侵攻計画に緻密性を欠き、亦、想定外のウクライナの抵抗に遭ってロシア軍の補給路が乱れ、軍の増強もままならないのは、そもそもの出兵計画が、軍組織を挙げての検討を経ず、大統領と一部取り巻きの側近達の粗野な計画に基づいていたからではないのか…。

 

プーチン大統領の対ウクライナ姿勢は、表面上、極めて強面で、西欧や米国への態度も、強硬だ。それは譬えれば、ロシアン・ルーレットのようなもの。核の使用を匂わせ、民衆への無差別攻撃を実施し、止めさせるガッツがあるなら、お前の頭に当てた拳銃の引き金を自分で弾いてみろ、といわんばかり。NATOや米国の指導者には、その勇気がないと見透かしているのだ。

 

さて、この種の推測や勝手な解釈をしているスペースも尽きてきたので、時間をどちらが有利に使えるか、という視点を強調して、本稿の締めとしよう。

ウクライナ問題の決着は、一義的には戦場の勝利で決まる。ウクライナが持ち堪えれば、持ち堪えるほど、プーチンの優位は減価する。ウクライナのゼレンスキー大統領はそれ故、自軍に不利な戦場で、なんとか時間を稼ぎ、その間に民間人の避難や欧米からの武器を含む各種支援増強を得ようとする。対してプーチン大統領は、欧米の関与を出来るだけ拡大させないよう、威圧を繰り返す。

そんな尺度で見てくると、3月24日(現地時間)に開催された、NATO, EU, G-7の一連の首脳会議も、少なくともその前後の期間、ロシアはウクライナを全面攻撃できない…、そんな欧米側の政治的計算も見えてきてしまう。亦、各種の対ロ制裁も、時間が経つほどに効果が出てくるはずだ、と…。

だが、逆も亦、真なり。ロシアの側も、同じような計算で動いている。時間が経ち、少し考える余地が出てくれば、国連でロシア批判票を投じた国々の中でも、考えを改めざるを得ない国も出てくる。出てこなければ、考えざるを得なくさせれば良い。ロシアが早々とG-20出席を公表したのも、G-20諸国にそんな踏み絵を踏ませる、との計算があったからに他なるまい。

 

結局、冷徹に言えば、神は自ら助くる者しか、助けないのだ(**)。ウクライナのゼレンスキー大統領も、そのことに気づいている。ウクライナが今後とも、抵抗を続けるためには、キエフ政府は倒れてはならないし、ゼレンスキー大統領自身もロシアの捕虜になってはならないはずだ。そうさせないためには、NATOや欧米諸国は、最低限これ以上、ロシアにウクライナ現政府を窮地に追詰めさせてはならないのだ。他方、プーチン大統領は、そんな欧米の足下を割ることに、最大注力続けるだろう。勝利の神は、時間を自陣営に有利に働かせた方に微笑むのだから…。

 

(**)中学の英語の教科書で習った“God helps those who help themselves”を当時、「神は、自ら助くる者を助ける」と習った覚えがあるが、実際は、上記のように「神は、自ら助くる者しか、助けない」と解すべきなのだ。

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