鷲尾レポート

  • 2022.05.31

ゼレンスキーとバイデン、次第に近づく両者の立ち位置

二昔以上も前、筆者は、明治の古老を思わせる某財界人から、「鷲尾さん、男が漢になるためには、3つの場を経験することが必要だ」と聞かされた。若さ故か、筆者は当然に、「その3つとは…」と、問い返した。答えは、「土壇場、正念場、修羅場」だった。

そして今、ウクライナの大統領役俳優だったゼレンスキーは、否応なく、その3つの場を体験、結果、“本物の政治指導者に”大化けした。今のゼレンスキーの行動様式は、譬えれば、「撃たれ強いこと柳の如く」、「悲壮感漂わせて、欧米諸国に態度鮮明を迫る様、鬼女の如く」、「苦難の中、ロシアへの抗戦を貫く姿勢は、“したたかさ”の権化の如し」とでもなるだろう。

 

明時代の中国人、洪自誠(こう・じ・せい)の書いた警句風の語録(菜根譚)によると、議論することと、実行することとは、底通する原則が全く逆だそうな…。その書曰く、「事を議する者は、身を事の外に置き、利害の情を尽くすべし」(客観的分析)。対して、「事に任ずる者は、身は事の中に置き、利害を忘れるべし」(主体的拘り)とのこと…。ウクライナの指導者の“したたかさ”は、この相容れない両者を、出来るだけ両立させようとする、主体的対応者の側の、際限のない拘りから派生している。つまり、今のゼレンスキーの心中を推し量れば、「客観的に分析して、不可能と思われる状況下でも尚、我、何をなし得るか」の一念に凝り固まっているのだ。

 

一方、支援を求められる側の、バイデンのアメリカは、言わずと知れた、移民の国。嘗て1960年代前半のケネディー政権で、大統領たる兄の下、司法長官を務めたロバート・ケネディーは自著“A Nation of Immigrants”の中で、「米国民の先祖を遡れば、皆、移民に突き当たる」と書いた。そんな米国についての、「我に与えよ、疲れたる者を…・、自由を求めてひしめく群衆を…、家もなく風雨に晒される人々を…、我の下に送れ…、我、光を掲げん、金門色の傍らに…」との文言が、筆者の脳裏から離れない。この文章、筆者が初めてニューヨークに駐在した際(1980年代前半)、空からの玄関口ケネディー空港の入国扉の横壁に彫り込まれていたのを見つけたもので、オリジナルは自由の女神の礎石に書かれている文書だった。要は、米国が、そんな成り立ちの社会故、内政上での正当性を主張するには、“普遍的価値”の追求・実現をもっぱらの尺度とするしかないのだ。

 

その米国が、第一次大戦後、国際社会にデビューする。時の大統領ウイルソンが掲げたスローガンは、「米国は理念の灯台たるべし」というものだった。こうした米国の立ち位置を、山本七平は嘗て、「米国外交政策での外への普遍性の主張は、つまりは、内への統治の正当性の主張なのだ」と喝破してみせた(日本は何故外交で負けるのか:さくら舎刊)。

 

1960年代前半(米国が最盛期だった頃)、民主党のケネディー・ジョンソン政権下で、青年期を過ごしたバイデンは、謂わば、穏健・民主の精神が骨の髄まで染み渡っている。

勿論、60年代の普遍的価値(公民権法成立の時代)と2020年代のそれ(所得格差の拡がりや選挙制度の在り方、改めての中絶議論の再燃等など)が、違っているのは当然だが、それでも専制への拒絶感や自由を求めて戦う民衆への共感感情は変っていない。だからこそ、ゼレンスキーの心理と、次第に一体化するバイデンの共感、という構図が実現するのだ。

 

その米国の行動様式には、歴史的に見て、“極度のしつこさ”という特色が認められる。例えば、これ亦、二昔以上前、ニュージーランドに左派政権が誕生したことがあった。あの時、新政権は、同国寄港の米軍艦に核兵器が搭載されているかどうかを争い、搭載されている可能性濃厚とみて、米艦の寄港を拒否したのだが、そうした措置を恨んだのかどうか、その後、オーストラリアなど近隣諸国が米国と自由貿易協定を結ぶ事態の中、米国はニュージーランドとは、一切、自由貿易協定を結ぼうとしなかった(注1)(注2)。

 

そうした“米国の外交戦略の息の長さ”という点から言えば、「仮に、8年前(クリミア併合時)に、現在のようなウクライ東南部州侵攻を企てていれば、プーチンの想定通り、48時間以内に勝利を収めていただろう」(インテリジェンスの専門家、春名幹男)。では、あの時と、現在とで何が違っていたのか…。

2014年のクリミア半島併合後、ウクライナでマイダン革命が発生、国の主要行政機関から親ロ派が一掃された。その粛正は、ウクライナの諜報機関(SBU)にも及び、上記の専門家によると、その間隙を縫って、SBUに米国のCIAの影響力が浸透していたのだという(注3)。結果、2015年には、CIAの特殊部隊が、ウクライナの特殊部隊を訓練するまでになっており、昨年9月には、NATOの平和のためのパートナーシップ演習に、ウクライナ軍が参加、ロシアの侵攻が案じられ始めた昨年末には、米国はアフガニスタンから撤去した武器類をウクライナに搬入、更に、米英の専門家がキーウに派遣され、防空システムの評価を行なうなど、今にして思うと、ロシア侵攻に備えるための手を、米国が予め打っていた様が明白となってきている。

 

そして、直近1~2ヶ月前、バイデン大統領の舌禍(?)事件が起る。ポーランドを訪問中のバイデンが、彼の地での演説の中で、「プーチンは、長く、その座に止まるべきではない」と発言した件だ。ロシアは、当然に反発し、大統領府が「ロシアの大統領を選ぶのはロシア国民であって、プーチンではない」と文句を付けたが、その反論があった直後か、或は、むしろ直前、米国のブリケン国務長官が「あの部分は、バイデン大統領のアドリブであって、演説草稿の中にはない」と釈明した。

ロシアの苦情か米国務長官の釈明か、どちらが早かったのか、興味の尽きないところだが、筆者はあのバイデン発言、考え抜かれた末の、予定されていた舌禍だと思っている。米国側の釈明の中で、「ロシアであれ、他の国であれ、その国の政権を覆すというのは、米国の外交戦略の目標にはない」と主張、この機会に、ロシアに対してのみならず、中国や北朝鮮にも、米国なりのメッセージをちゃっかりと発信しているからだ(注4)。

 

いずれにせよ、このバイデン演説後、米議会下院民主党のペロシ議長が、次いで上院共和党のマコーネル院内総務が、更にはバイデン夫人が、それぞれにウクライナを訪問し、ゼレンスキー等と面談している。恐らく、ホワイトハウス内では、近い将来の、バイデン自身のウクライナ訪問可能性も検討されていることだろう。つまり、ロシアのプーチン大統領にとって、これまでは、ウクライナのゼレンスキーが直接・間接の相手だったのだが、今後は次第に、否応なく、米国のバイデンが、その実質的相手に浮上してきているのだ。それが、時間の経過と力のバランスの、必然の推移というものだろう。

 

ウクライナの反転攻勢が、世界のマスコミなどが当初描いていた日程より、かなりずれ込んでいるし、亦、状況はかならずしもウクライナに有利ではなさそうだ。それは、当然だろう。ロシアが総力を挙げて、しかも一点集中的に、特定の標的を攻め始めたのに、ウクライナには、それを迎え撃つ兵力も火力も十分ではない。そして、何よりも、戦場となる地が平坦すぎて、奇襲攻撃にも向いていない。

つまり、ロシアは、特定地域占拠に戦略目標を切り替え、その地の攻囲とウクライナの敵対力を削ぐことに集中し始め、今のところそれが奏功しているように見える。だからこそ、ゼレンスキーは、一層の攻撃用兵器の供与をバイデンに求めるようになっているのだが、そこがバイデンの頭の痛い処。射程距離の余りに長いミサイル(故に、ロシア領の奥深い処まで攻撃出来る)などを、ウクライナに供与しようものなら、米ロの関係の緊張は一気に高まり、後戻り出来ない状況の出現すら想定されるからだ。そして、そんな米国の躊躇があるからこそ、その間に、ロシアはウクライナ東南部を占拠し終わってしまいたいのだ。

となると、当該地を占拠し終わった後、ロシアがその事実を以て、一方的停戦を宣したら、ウクライナはどう抗するのだろうか…。或は逆に、ロシアの停戦宣言は、どの国によって担保されるのだろうか…。こんなこと等を考えると、米国の実質的な交渉出番が迫ってきているような気がしてならないのだが…。

 

  • 米海軍は、伝統的にNeither confirm nor denyを名分に、曖昧戦略を採る。事実かどうかは、否定も肯定もしないというわけだ。当該のニュージーランドの場合も、米海軍はこの立場を取った。
  • そのため、取り残されたニュージーランドは、シンガポールやチリなどの小さな国々との間で、開放度の極めて大きな自由貿易協定を結ぶことになるのだが、それが後日、TPPの原型となるのだから、世の動きは皮肉なものだ。
  • 直近の情報では、5月29日、ゼレンスキーは激戦の続くハリキウ州を訪問、同地のSBUのトップを解任したという。ロシア系住民がいるところには、保安局内にも未だ、ロシア系が残っているということだろう。
  • この種の舌禍(?)は、日本訪問中にも起った。岸田総理との共同記者会見の席上での、外人女性記者の質問「台湾有事に、米軍は関与するのか」に対し、バイデンは“イエス”と答えた件。直後、国務省は「米国の対中政策は、何ら変っていない」と釈明したが、その意は、「一つの中国という原則は変らない。中国が台湾を侵攻しない限りは…」。筆者のような素人には、米国の回答を、その位に理解しておいた方が良さそうだ。

それにしても、あの質問を発した女性記者も“したたか”だ。質問の仕方に頭をひねっている。「米国は関与するのか」と、大統領が問われれば、「ノー」と言った方が、衝撃が大きい。「ノー」といえば、米軍関与はなくなる。そんなことを、大統領が、今の時期、言えるわけがなかろう。それを見越しての、あの質問。日本の記者も是非、見習って欲しいものだ。

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