鷲尾レポート

  • 2021.11.06

何が中国経済の減速をもたらしているのか

2021年11月のご挨拶

2021年11月6日

関西学院大学フェロー

鷲尾友春

時の過ぎ去る速度だけは、足早のようです・・・。

早や今年も11月に入りました。非日常から日常へ、そんなムードにつられ、今週央、箱根の仙石原に行ってきました。秋のすすき野を見るためですが、紅葉も程よく色づき、天気も快晴で、日常の鬱積も吹き飛んだのですが、“好事魔多し”の譬え通り、またまたスピード違反で警官に反則切符貰っちゃいました。

私よく貰うのです・・・。車運転していると、何か自由な気分になって・・・。SHOE DOGという本の中で、ナイキの創業者フィル・ナイトが書いていました。「あらゆることは、ボールが宙に舞う瞬間にある」と・・・。晴れた気持ちが暗い気分に転換するのも、ほんの一瞬の違いでした。悔いても仕方がないのですが・・・。でも、この12月の運転免許書き換えを前に、この反則は痛い。だけど、まぁ、事故でも起こしていれば、亦「高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違い」なんて報じられかねないのが、スピード・チケットぐらいで済めばと、自分を慰めています。

今回は、大昔、シカゴ駐在時、広報の一環で、日本経済を米国の学生達に講義した後、講演を仕切ってくれていたシカゴ大学クレッチャー・スクールのカシャップ教授が小生の論を基に、日中経済について指摘したことを軸に書いてみました。

教授の話は、先行日本の二桁成長路線を、中国が後から真似して歩んでいる。しかし、日本が転んだ経験を、後行中国はどう生かすか、そんな話しだったと記憶しています。そんな折、教授は、「中国と日本の違いは何かわかるか」と片目をつぶって話しかけてきた。答えは「中国は総括をする国だが、日本はどうも総括をしない」。そんなオチがついていました。だが、当たっている・・・。

 

 

何が中国経済の減速をもたらしているのか

関西学院大学フェロー

鷲尾友春

 

昨年央以降、コロナ禍から立ち直り始めた中国経済だが、今年の8月頃を境に、再び減速感を強めている。7~9月の実質GDPの前年同期比の伸びは4.9%に止まり、4~6月の7.0%から半減。亦、10月に発表された製造業購買担当者景気指数も49.2。好不況の境目は50.0とされ、この指標を使う限り、中国の景気不振は7ヶ月連続している。

 

しかし、此処で強調したいのは、そのような景気の現状ではない。もっと根本的な、2010年代前半迄は二桁成長だった中国が、何故その後、成長率が低下し、そしてコロナ禍を経由した今、更なる成長率低下に悩んでいるのか・・・。つまり、この成長減速の一連の過程こそ、急速に離陸した途上国経済が一様に経験する宿命なのだ。

 

経済活動は一対のシステムであり、一カ所のメカニズム変調は容易に他の箇所にも飛び火する。例えば、地球環境問題を発端とする中国での石炭火力の削減→電力不足→鉄鋼やセメント生産の削減→資材価格の高騰→就業者の8割が働く中小零細企業への悪影響→賃金の低下と物価の上昇等など。

政府の規制もメカニズム変調に油を注ぐ。中国の、富が一部の層に偏在する傾向は、恐らく日本の比ではあるまい。だから習政権は、共同富裕のスローガンを掲げざるをえない。不動産価格を抑制する姿勢(2020年の、主要都市の不動産価格は平均年収の13倍)は、こうした流れの必然の帰結だろう。当局は、不動産バブルの抑制に乗り出し、住宅ローンへの総量規制や不動産企業への融資の絞り込みを実施、マンション価格は下落し始めるが、逆に不動産開発企業の資金繰りの悪化も招来、それが社債市場の不安定化をもたらす。

 

中国政府が、理念上、生産よりも消費を強調する政策を打ち出したのは2004年前後。当時の胡錦濤政権が、“和諧社会”を標榜し始める。中国経済が巨大化、嘗ての日本と同様、投資と輸出の二本立てを軸とするやり方では、世界、とりわけ米国との経済摩擦が避けられなくなったから・・・。だが、この路線転換は、大きな困難の始まりでもあった。

 

途上国が二桁台の成長を達成するには、上記のような“投資と輸出の二本軸が不可欠だが、それには輸出市場と為替相場、両面での“安定”が不可欠。しかし成長の現実は、1970年代の日本も、2000年代の中国も、図体が大きく為りすぎて、それら大前提が確保出来なくなってしまうのだ。消費主導経済の強調は、その意味では、二桁成長成功の挙げ句の局面転換なのだ。

 

10数年前、筆者はシカゴで、同大学ビジネススクールのカシャップ教授から、60年代~70年代初めに、日本が経験した高度成長の基礎が、その後、どのようにして崩れたか、懇々と解き明かされたことがある。教授曰く、「それは70年代に出現した諸課題に、日本が対応しきれなかった結果だ」と・・・。要するに、60年代~70年代初頭の日本の二桁成長は、①先進国の技術や慣行を所与とする、追いつき型のモデルに従ったもので、70年代には、その限界が露呈した。つまり60年代、所得水準が低かった日本では、資本量を増やせば増やすほど急成長が可能な状況だったが、70年代に入ると、完全雇用の達成と同時に、“技術進歩”による生産性の向上がなければ、これ以上の成長を達成出来ない領域に到達した。②70年代のニクソン・ショックや2度の石油ショックなどで、固定為替相場制が崩壊し、円安を武器にした輸出拡大が不可能となった。③高齢化の兆しと、国内の投資機会の縮小。亦それ故の公共投資が非効率すぎたこと等など。

 

カシャップ教授は亦、「中国は日本の成長路線を踏襲しているが、早晩、日本が直面したと同じような局面を迎えるだろう」とも指摘した。事実、2000年代に入り、その中国も、追いつき型の成長モデルの限界に達し、各分野での技術進歩指向と共に、“和諧社会”が象徴するように、経済の舵取りを生産から消費に切り替えざるをえなくなっている。

 

だが、消費が国内総生産の6割を占めた当時の日本でも、或いは5割弱を占める今の中国でも、消費依存一本槍の成長では、投資と輸出の二本柱で成長を続けられた前代と同じ成果を得ることは難しい。だから、二桁代だった成長率が一桁台(7~8%)に落ちざるをえないのは半ば必然事。中国が、そうした事態を避ける方途、それは繰り返せば、国家を挙げての技術進歩の促進だろうが、しかしそれが亦、Dual-Use の新技術を介しての、安全保障問題惹起の途に連なってしまう。

 

カシャップ教授はあの時、二桁成長から一桁成長に落ち込んだ日本が、次なる局面での資源価格の高騰と内需型の非製造業の脆弱性克服に失敗、失われた数十年に落ち込んだ理由を次の3要因に帰していた。①金融機関の不良債権問題、②規制緩和の不徹底で企業の創造的破壊の芽を摘んだ、③不適切・非効率だったマクロ経済政策・・・。では、今後、中国の場合はどういうことになるだろうか・・・。

 

 

 

 

 

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