鷲尾レポート

  • 2022.11.07

推論、習3選後の中国、思わぬ制約要因

5年に一度の中国共産党大会が10月22日に閉幕した。

翌23日には、中央委員会第一回全体会議で、党高官(政治局員24人【指導部】と政治局常務委員【最高指導部】7名)も選任された。

日本のマスコミ各社は、こうした3期目の習政権中枢部の特色を、「習派が8割を占めた」と紹介、習近平は党トップの総書記、国家元首の立場である国家主席、軍トップの中央軍事委員会主席の3ポスト独占を継続、且つ、明白な後継者も指名せず、亦、「2035年までに、社会主義現代化を実現する」と党規約に書き込むことで、自身の政権、或は、自身の意を汲む後継政権が、その時期まで延命する可能性を示唆した、と解説する。

一方、米国のリスク管理会社ユーラシア・グループは、こうした習政権の専制強化の動きを、トップの政策打ち出しの下、習国家主席に忠誠を尽くす、実務経験の必ずしも十分でない忠臣たちによる、諸策遂行が恒常化する可能性を指摘、このような体制は、政治・経済・外交分野での、チェック・アンド・バランス機能を縮小させるもので、大いなる政治リスクだと結論づけた。

 

では、何故、こんな事態になったのか。以下は、中国専門家でもない筆者が、恰も素人探偵にでもなった気持ちで、習近平の立ち位置を推測、今日の体制を採るに至った理由、そして、そうした態勢の下での、中国の将来軌道シナリオが内包するリスクへの懸念を開陳してみたもの。

 

先ず、習近平は、何故、こんな専制への途を歩んできたのか。2つの理由が考えられる。

一つは、習自身の心の内にあった傾向、つまりは、政策決定面での効率化志向であり、二つは、いずれの政治現象も、必ず正・反・合の反動を伴う、という事実である。

先ずは、前者から推論を始めて見たい。

米国に亡命した中国人の、元教授蔡霞女史の論文(Foreign Affairs誌9/10月号、NY Times 10月19日など)によると、毛沢東以降の歴代の中国指導者たちは、文革への猛省に鑑みて、党指導者の独裁権限を徐々に削減する方向で、党組織改革を試みてきたとのこと。例えば、鄧小平は集団指導性を目指し、江沢民は常務委員会の意志決定に多数決方式を持ち込み、胡錦濤は更に一歩進み、常務委員たちの全員一致方式を採用する等など・・・。後者に至っては、個々の委員の実質拒否権すら認める方向で、常務委員会の意志決定に重みを持たせようとしたわけで、胡錦濤は、それ程までに、集団指導に忠実であろうとしてきたように思われる。

だが、ここで第二の理由が顔を出す。

つまり、一方での、こうした組織機能に頼って統治する姿勢、他方での、個人独裁を阻止する姿勢は、状況に応じて融通無碍な政策を打ち出し、政策遂行の円滑性を求めねばならない、現実政治の必要性とは、基本的には、相容れない点も多いからだ。もう少し詳述してみたい。

習政権下の中国は、押しも押されもせぬ世界第二の経済大国。だから、政権指導者の心の内に、「世界の、中国に対する遇し方にも、当然にそうした同国の立場の強化が反映されてしかるべき」との、ある種のナショナリスティックな感情が派生して来る。そして、そうした感情故、習政権の対外姿勢・国内姿勢にも、従来とは異なる思惑が入り始める。

米国との間での新型大国関係の模索、周辺途上国との間での一帯一路構想、或は、安全保障の関心範囲が、中国一国を軸とする地政を超えて、アジア全域や中東欧にも及ぶ広範さを持ってきたこと等など・・・。こうした姿勢は、要するに、自らの図体の大型化に伴う、当然の遇し方改善を、諸外国に求め始めることに通じ、更に、そうした要求そのものが、国際政治の覇権国米国にとっては、許容できない要求と見えてきてしまう。

更に、国際環境が厳しくなれば、習近平の採った対外路線に、党内外から反対も出てこようというもの。そうなると、これまでの党内の意志決定面での、分権化的方向そのものが、習近平自らが選択した政策の遂行にとっての障害となってくる。

 

そんな状況下では、国内世論の強い支持が是非欲しいところ。だから、偉大なる中国夢の構想や、共同富裕といった、習近平独自の政策目標も選定されてくる。要するに、新型大国関係の模索にしても、一帯一路にしても、更に、米国との対立激化にしても、そして、そうした状況下での国内世論向けスローガンとしての、社会主義的なキャッチフレーズの再強調にしても、結局は、習近平が打ち出した路線の延長線上の正・反・合的反応の要素が色濃いのだ(勿論、習国家主席本人の確信的な思想だとの装いは凝らしているが・・・)。

だから、習国家主席にとって、自らのイニシアティブへの反動的な動きに妙に妥協すると、今度は自分に、政策修正への国内からの批判が及ぶことになる。例えば、直近、「中国はコロナ禍封じ込めへの初動捜査で誤った・・・」、或は、「コロナ禍が、中国のある種の秘密研究に由来している」などとの、米国からの嘗ての批判を過度に意識しすぎた習近平が、今や全く逆の意味で、“上海等でのコロナ・ロックダウン措置への、過剰なまでの拘り”を示すのは、案外、そんな経緯に沿ってのことかも知れないではないか・・・。

 

いずれにせよ、一旦、自分が打ち出した政策の方向性に、批判が高まりそうになった時、習近平は、毛沢東に範を求め、党内での専制指向を強め始める。そんな意味では、共産党の原点に向けた、回帰路線を採ろうとするようになる。自らを二つの核心(党の核心並びに政治思想面での核心)と位置づけるキャンペーンを繰り広げていること等は、そうした心の動きの反映なのではないだろうか・・・。

前記Foreign Affairs論文は、習政権2期の間に、党常務委員会の意志決定方式が、如何に形骸化していったか、概要次のように記述している。

「政策課題は、対面ではなく、文章の形で回覧され、委員が関心を示せば、メモの余白にコメントして行く云々」。或は、「“李克強総理(当時)の”権限を削るため、特定テーマを扱う臨時の委員会を40近くも創出、そうした場での意志決定を数多く採用することで、国務院総理の権限を排除する云々」。このような対面よりは書面で、常設ではなく臨時の場で、重要決定を次々と行なって行く方式への転換は、権力行使の上での、指導者の力を増す結果になること、理解に易いことだろう。

かくして習国家主席は、今回の党大会を機に、集団指導とは決別し、忠臣と自分との特別の関係に立脚しての統治方式に、大きく舵を切ったと見られるわけだ。この変更は亦、党内の統制強化を通じ、社会や経済に対する統制強化にも通じるものだろう。言い換えると、これまで経済・社会の改革が優先されていたのが、今後は、経済・社会に対する党の統制強化が、政治の目的と化す可能性が大きいと言うことだ。外向きの視野が、完全に内向きに変る可能性が危惧されるわけだ。

 

しかしこのような、統治の方向性の変換・変質も、見方を変えれば、指導者習の危機感の表れとも見えてくる。自分が指導権を持って打ち出した各種政策や方向性が、それぞれに壁にぶち当たっている(例えば、直近のコロナ禍封じ込めが如何に経済を傷つけているか、鳴り物入りの一帯一路構想で、新興国の債務が如何に積み上がっているか、更には、経済を刺激し続けた結果、貧富の差が如何に拡大したか等など)。そして、そうした現実を解決するための、恐らくは唯一の手段が経済成長であるという理屈も、既に高度成長期を過ぎてしまった中国経済の実態を見る時、応用することあたわず、との現実が目の前にある。

 

問題が今後、続出することはわかっている。だが、対応する手段が見当たらない。そのためか、党大会での習国家主席の演説は、統治体制の専制強化への国内からの批判に対して、極めて強いトーンの反撃の言葉で満ちている。曰く「党内に、党の指導に対する多くの問題があった・・・理解の不足、政治信念の揺らぎ、はびこる官僚主義、深刻な汚職等など。国内社会にも、拝金主義がのさばり、自己中心の思想がはびこり、社会には無秩序の風潮が拡がっている云々」。

以上述べてきたことを総括すると、習3選後の政権にあっては、決定は当然にトップ・ダウンで下され続ける。だが、これまでもそうであったと同様、打ち出されてくる方向性が必ずしも適正である保証はない。だが、今後の習政権にあっては、そんな不適正を是正する力が、内部からは殆ど出てこない。しかし、それでも経済が二桁成長する程に勢いがあれば、そんな不始末も大きな犠牲を払わずに矯正されうるだろうが、経済が低成長の時代に入ってしまえば、政策の不適切性は、社会の不満を一層倍加させる方向に作用して行くことになる。台湾有事は、こうした、中国国内の政治環境の変質をも十分に視野において、フォローし続けられねばならない。

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