鷲尾レポート

  • 2023.02.01

2023年初頭(2月)の世界と日本

「2023年初頭の世界と日本」をどう見るか、と問われた時、筆者は1994年に公開されたハリウッド映画のClear and Present Dangerというタイトルを思い出す。米国大統領の再選選挙を間近に控え、某州知事の現職大統領追い落としの策謀に、ハリソン・フォード演じるCIA諜報局幹部のジャック・ライアンが立ち向かう、トム・クランシー作のミステリー作品の映画化。麻薬密輸事件が絡み、同じCIA内の人間も、反大統領派として絡んでくる。要は、国家権力の乱用を如何に阻止するか、というテーマなのだが、結末は、米国映画の十八番のような、議会(上下両院諜報委員会)が出てきて行政府内の独走を阻止する、といった筋書きだった。この映画を、最初ニューヨークで、そして、一時帰国中の東京で、筆者は二度も観てしまった。日本で観た時の映画のタイトルは「今そこにある危機」。そして、この日本語タイトル、現在の世界危機を現わすのにピッタリだ、と思うからだ。

 

現下の世界を眺めると、ユーラシア大陸の西と東で、大型火山の活動が活発化している。一つはプーチンが着手したウクライナ戦争。二つは、トランプが着火し、バイデンが引き継いだ米中経済戦争とその延長上に懸念される台湾有事である。両活火山共に、地下のマグマは煮えたぎり、先に噴火したウクライナ火山では、河口から流れ出した大量の溶岩が地表の表情を大きく変えてしまいつつある。双方の地下マグマは共に、錯綜した歴史と社会における価値観(含む宗教)が混ぜ合わさって出来ており、一旦爆発してしまえば、対立する陣営のどちらか一方が圧勝でもしない限り、短期での根源的解決策など見当たりそうもない。

 

問題の根深さを理解するため、ここでは、日本にとって相対的に知識量の少ない、ウクライナ火山のマグマについて、若干の基礎知識を仕入れて置くのが便利だろう。先ずは社会的価値観絡みでの宗教史、具体的にはキリスト教の流れから観ていこう。

周知のように、キリスト教は、ローマ帝国下で、世に受け入れられるようになったのだが、そのローマ帝国が西と東とに分裂すると、西ではローマのカソリックが、東ではギリシャ正教が、以後の流れの源流になる。そして西と東、それぞれの帝国が崩壊の後、二つの流れは同じ源から出たとはいうものの、発展の方向や内容が大きく違ってくる。

例えば、ローマのカソリックは、西ローマ帝国がなくなった後、アルプスを越えて西欧や中東欧に布教活動を広げて行く。しかもその際、自らを、精神世界を律する支配者で、世俗の権力をその下に従属させる存在だと位置づけた。ローマ教皇が神聖ローマ皇帝を破門し、当の皇帝がローマ教皇に許しを請う、そんな姿が現出したカノッサの屈辱などは、そうした指向が産み出した典型的現象だった。

これに対し、ギリシャ正教は、西ローマよりは長命だった東ローマの国教として発展した。故に、東ローマ皇帝を神の代理と位置づけ、その権威の下で布教するという形を取った。だから、布教の地理的方向も、東ローマ帝国の影響力が強かった、黒海などのルートを通って北上し、最初はブルガリアに、次いで現ウクライナの首都キエフに布教された(キエフ大公国がギリシャ正教を国教化したのが988年)。

ギリシャ正教にとって、布教の拠点となる総主教座は元々5カ所だと認識されていた(エルサレム、ローマ、コンスタンチノープル、アレキサンドリア、アンティオキア)。ところが1000年代に入ると、アナトリア半島がセルジュク・トルコに押さえられ、エルサレムも危ないと危機を感じた東ローマ皇帝が、ローマ教皇ウルバヌス2世に救助を依頼する。そうした経緯を経て、西欧諸侯による、ご存じ十字軍の派遣となり、西欧諸侯、その背後にいるカソリックが、エルサレムや東欧・ロシアに十字軍の名の下に入り込んでくる構図が以後二百年続くことになる。

 

一方、こうした状況に、錯綜する中央アジアの民族史が絡んでくる。中心となったのはモンゴルだった。周知のように、モンゴル勃興の祖テムジンは、モンゴルという小部族の、亦その中の、小さな部族の有力者の子として生まれた。だが、小さい頃、父親はライバルに毒殺され、己は不遇の内に育った。そんな彼に幸運が訪れる。1203年の秋、モンゴル高原で覇を誇っていたカレイト族の長を、奇襲で制し・・・、とこう書くと、何やら我が国の織田信長を思い浮かばせるが・・・。いずれにせよ、その後もテムジンは苦闘を続け、1204年春、齢四十を過ぎて漸くモンゴル高原全体の覇者となった。

そして、更にその2年後、1206年春、テムジンはオノン河のほとりに大会合を招集、その場でチンギス・カンの称号を名乗ることになる。チンギス・カンは、即座に旗下の全遊牧民を計95の千人隊(全員が騎馬であることを勘案すれば、当時の中央アジアでは比類ない機動部隊を持ったことになる。この千人隊の数は、最盛期には129にまで増大している)に編成し直し、3人の弟たちには計12の千人隊を配分、彼らにはモンゴル高原の東方に向かって、一方、3人の実子たちにも同じく計12の千人隊を与え、高原の西方に向かって、それぞれに領土を拡大するよう命じた(残った71の千人隊は、チンギス自らと末子トルイが掌握する形を取った)。そして、当然ながら、今ここで重要なのは、実子3人が向かった西方である。

チンギス・カンは1227年に死去した。その後、紆余曲折はあったが、1235年夏、後継カンとなったオゴタイの指令の下、チンギスの長子ジュチの次子バトウを総司令官とする、モンゴルのロシア並びにブルガリア方面への大侵攻作戦が始まる。そしてこの西進部隊は、1240年にはキエフ大公国を征服、そして、このバトウが創設したキプチャク・カン国がロシアの大半を支配することになるわけだ。

ロシアにとって“タタールの軛”と言われるこの時期、広大なモンゴルの諸カン領を介して、南からはトルコ系民族の流入とそれに伴うイスラム教の侵入が続く。結果、中央アジア諸国のイスラム化が一層進展し、現在のタジクスタンやウズベクスタン、或はキルギスタンなどの、旧ロシア連邦を構成する、イスラム系の国々の礎石が固まって行く(そして、今、これらの国々を、どう引留め続けるかが、プーチン大統領の大きな課題となっている)。

しかし、タタールの軛と称される事態も、250年前後の間に徐々に緩み始め、1480年にはロシアの中でも最も辺境にあった、モスクワ大公国がキプチャク・カン国への朝貢を正式に止めるに至る。モンゴル支配の崩壊の始まりだった。

この間、1472年には、モスクワ大公国のイワン3世が、既に滅亡していた(1453年)東ローマ帝国の皇女にあたる女性と結婚、併せて、東ローマの国章だった双頭の鷲をモスクワ大公国の国章に採用、亦、ギリシャ正教のキエフに置かれていた拠点も、モンゴルの支配色の比較的薄かったモスクワに移されたのだった。更に亦、イワン3世の孫、イワン4世の頃から、ロシア皇帝は己のことをツアリーと称するようになる。ツアリーとは、カエサルのロシア語読で、そこには、ロシア皇帝は今や東ローマ皇帝の後身で、国家権力でギリシャ正教を保護できる唯一の国の王だ、とのメッセージが含まれていた。それは亦、文明・政治権力・社会の骨格となる宗教など、その全てがコンスタンチノープルからモスクワに移った、との宣言でもあった。

 

そうなると、ギリシャ正教が脅威に感じていた諸々も、ロシアは踏襲することになる。そんな脅威の筆頭は、先ずはローマ・カソリックと、その影響下にある西欧・中欧諸侯からの圧力で、その象徴的事例が十字軍だった。

そもそもの十字軍は、前述のように、ローマ教皇の西欧諸侯への檄から始まっている。そうした形で動員された十字軍こそが、時には東ローマ帝国を一時的にせよ滅ぼし、亦、時にはバルト三国やロシアの影響力の強かった地域にも侵入してきたではないか・・・。

そんなロシアにとって、脅威は今も、昔と同じように存在する。直近の2019年には、コンスタンチノープルの正教主教庁が、ウクライナ独立を名目に、それまでモスクワに一元化されていたロシアでの総主教座をわざわざ分割、コンスタンチノープロとロシアは断交状態なってしまった。こうした背景には、トルコと米国が暗躍している・・・。

ロシアの認識は上記の如くであり、今回のロシアのウクライナ侵攻を、ロシア正教のモスクワ総主教キリル1世が熱烈に支持する理由も、結局はこんな処にあるのだと推察される。付け加えておけば、プーチン大統領は大ロシア主義の信奉者であり、ギリシャ正教の忠実な信徒。そして、ロシア国民の7割弱がギリシャ正教の信者。そして、このような西側の力への脅威認識は、そのまますっぽりとロシアの国家安全保障観の中に移入されている。曰く「ロシアは、NATO諸国から周囲を攻囲されており・・・」云々。こういう脈絡で観れば、十字軍が侵攻して、ロシアの影響力を脱したポーランドやバルト3国などは皆、今やNATOの一員ではないか・・・。

 

ここから先は筆者の推測に過ぎないが、恐らくプーチン大統領は、就任初日から大国ロシアの復活を使命として政治の舵取りを取ってきたのだろう。その際、エネルギー(天然ガス等)を主武器に使う。だから、一方では、“OPEC プラス”という形で産油国の中でのロシアの座を強化し、他方では、欧州中に天然ガス供給パイプラインを敷きまくり、以て、欧州各国のエネルギー源を抑える。そう観れば、日本にも、東日本大震災の際、ロシアは天然ガスを供給しても良いといった、オファーがあったではないか・・・。

更に、天然ガスや資源を武器に使う。そんな思惑からだろうが、プーチン大統領は、ロシア大企業の自己の影響下への組み入れを、誰に隠す事もなく、実に堂々と実践してきた。ドイツの雑誌の特集などでは、東独のスパイだった人物を、ガスプロムのトップに据え、以て、上記のようなエネルギー政策を進めてきたのだという。つまり、プーチン大統領にとって、外への戦略と、内での国営企業掌握は、両者相俟って一つだったということになる。結論は、今回のウクライナ侵攻は、プーチンにとって、長年の確信に基づくもの、というわけだ。

 

長々と書いてきたが、ここら辺りで、素人結論を纏めてみよう。

(1) 問題の根が複雑で、短期の問題解消は不可能。だから、2段構えのアプローチで問題に取り組むしかない。具体的には、一つは、当面の停戦をどう実現するか、二つは、より長期には、新冷戦の事態をどう管理して行くか。

第一の、停戦手法のアイディアとして、欧米の一部からは(一説には、当のロシアからも)朝鮮半島方式が提唱されている。戦線に膠着状態をもたらし、流れ出ている溶岩を、兎も角も止めるというわけだ。そうしておいて、溶岩の冷却化を待つ。だが、こうしたやり方で困る国も出てくる。北朝鮮がその最たる例だろう。「自分は今こそ、閉じ込められ、固定化された冷凍状態から脱却しようとしているのに、ウクライナ戦争がそういう状態に閉じ込められるなら、既にそんな状態に押し込められている自分たちは、とても脱却など出来なくなる」。北朝鮮が狂ったようにミサイルを発射しまくったのも、案外、こんなメンタリティだったからかも知れないではないか・・・。北朝鮮の、ロシア頑張れ、との声が聞こえてくるというものだ。

第二の、新冷戦の体制管理の構築。この方向への動きは既に明白だ。NATOの拡充と東方への関心拡大。こうした流れの中で、岸田総理のNATO会議への出席があり、英仏独のアジアへの艦船派遣もある。唯、こうした動きは、見方を変えれば、“歴史の後退り”と見えなくもない。最近の英国首相の英日連携強化論などの背景を観察すると、英国の眼には、国際情勢が何やら日露戦争当時のそれと同じに見えているような感じもするではないか・・・(EU離脱で孤立感を深める英国、そんな英国の前面にはロシアの脅威、故に、英国はロシアの東側に同盟者を持ちたい心理等など)

(2) 日本への影響・・・。そうした西半球での安全保障構造への渇望は、当然に東半球にも伝播する。日本はこれまで、太平洋に一人ぼっちの状態だった。前面の、ロシア、北朝鮮、中国、そのいずれもが脅威の源泉だった。こんな戦略環境に置かれている国は、世界でも希。そこに台湾有事の懸念が覆い被さってくる。

ロシアと中国、この二正面作戦を採らざるをえなくなっている米国は、だから今まで以上に前のめりにならざるをえない。日米や日韓との絆を深め、更に日米豪印(QUAD)や米英豪(AUCUS)など多角のフレーム構築を促進し始め、軍事的には、新たにインド太平洋戦略構想を実現しようと務め始める。

日本は、こうした米国の動きに、一歩も二歩も先んじて、安倍外交を展開していた。地球儀を俯瞰した外交を展開し、アジア太平洋に戦略的パートナーを持とうとしてきた。そう観れば、現在の米国の動きは、少し前の安倍外交の動きを上書きし、より濃厚な配色を施そうとするものと見えてくる。要は、アジア太平洋の舞台では、日米の思惑が重なり合った二つの方向が明白になってきているわけだ。一つは、西のNATOには及びもつかないが、今までよりは一層強固な仲間作り。二つは、台湾への肩入れを明確化し、韓国や日本との同盟関係を強化し続ける。と同時に、NATOとの連携を一層強化する。

かくして、日米同盟は益々深化し、直近発表された岸田・バイデンの日米共同声明では、両国の防衛能力を使っての統合抑止(自衛隊と米軍の統合運用や司令部の統合)、反撃能力の装備明確化、サーバーや宇宙を対象とした協力等などが明示され、それらを達成するために、共同声明の文言上では、「核を含むあらゆる能力を用いる」とすら明記、亦、「日米安保の尖閣適用や台湾海峡の平和と安全」といった、日米の具体的な関心事項の列挙も盛り込まれている。こうした動きを、ロシアのメドベーチェフ前大統領は「世界で唯一の被爆国が、核の脅威を増す方向に転換・・・、岸田首相は閣議で切腹しろ」とツイートしたそうな・・・。ウクライナで核を匂わすロシアには、言われたくない台詞ではないか・・・。

(3) 日本にとっての課題も多い。先ずは日米間の安全保障協力が緊密になればなるほど、効率性の皮肉が派生する。具体的には、統合抑止の効力を求めれば、日米の戦略・戦術・防衛組織管理・指揮系統・コストの分担など、全ての分野で密接化させねばならない。そうでなければ効率化が図れない。だが、そうなると、力学の世界で、必ず、強い方が弱い方を引っ張ることになる。だからこそ、ジュニアーパートナーの日本としては、どうすれば独自性を確保できるか、シニアーパートナーに引っ張られ過ぎずにすむか・・・。問われてくるのは、結局、日本の対米政治・交渉力ということにもなる。そういう類のしたたかさが、今の日本に本当にあるのだろうか・・・。

そして最後は経済力。2022年末に公表された、日本の国家安全保障戦略の中でも、経済・金融・財政の基礎強化にたゆまなく取り組む旨の文言が挿入されている。「経済力を強化しなければ・・・」との、安全保障関連機関(国家安全保障局、防衛省、外務省など)の危機感の表れだろうが、財務省主導での文言でないところが味噌といえようか・・・。要は、安全保障の土台を支えるはずの、日本の経済力の弱体化、事態はそこまで切実だと理解すべきなのだろう。

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