鷲尾レポート

  • 2023.04.25

G-7広島サミットを前に、日本を考える

 

1.広島サミットは、千載一遇のチャンス

 

世界の政治・経済は混乱の様相を呈し始めている。先進諸国は、それらへの対処策を,同一歩調で早急に講じなければならない。そんな中、5月19日~21日、G-7広島サミットが日本で開催される。

 

ウクライナ戦争は停戦の兆候が見られず、関係諸国は何れも、長期戦を覚悟し始めたように見える。台湾有事は、米中の対立を一層激化させ、その対立分野も、米国から台湾への軍事支援(含む、武器生産技術の供与や人的訓練等など)の公然化、米日欧のハイテク製品・同部品の対中輸出禁止や技術移転禁止、それらの措置への中国側の対抗措置導入等など、急速に拡大している。

一方、ウクライナ戦争に端を発した天然ガスや石油,延いては資源価格の高騰が、主要国では生活必需品分野にも波及、対抗上、労働者も賃上げを求めるようになった。かくして、こうした急激な物価上昇への対応として、これ亦、当然のことながら、米欧の中央銀行は金融引き締め策を取るに至っている。

しかし、各国がコロナ禍対応で流動性を大量に市中散布した後の,この種の金融引き締めは、金利の急上昇や債券価格の急落を惹起、そこに、そうした債権の含み損を抱えた一部銀行の経営危機への匂いを嗅いだ預金者の、当該銀行預金の急激な引き出しなどが加わると、金融危機の扉が一気に開きかねない。米国やスイスの金融当局が、なりふり構わず、標的となった銀行の預金への保護措置を講じたのも、潜在危機の顕在化を何よりも恐れたからだった。

いずれにせよ、G-7参加国は、経済が減速する中、①ウクライナ戦争や台湾有事への対応、②世界の経済メカニズムの調整、③エネルギー危機や環境問題への対処、④脱炭素や人工知能、DX等の分野で、一面ではどう進め、他面ではどう抑制するかの合意造り、⑤危機に臨んでのG-7としての指導力再確立、といった諸課題への具体的な道筋や解を,早急に取り纏め、広く世界に向かって提示しなければならない。

 

問題対処への緊急性は最早自明。加えて、サミット参加各国には、そうした対応策で足並みを揃える必要性そのものについても、一定の共通認識が既に出来ている。それ故、残されているのは、共同して採るべき具体的な対処案策定と詳細な肉付けであろう。つまり、今回サミットは、真にそうした具体的内容を固める,謂わば、“立法”の場になる可能性が極めて高いのだ。

 

そんなタイミングで、サミットを主催する立場に立った日本の僥倖は計り知れない。例えば環境問題で、石炭火力に頼る比率が高い日本が主催国になっておらず,仮に欧州のどこかの国でサミットが開かれていたとしたら、恐らくは石炭火力の使用比率をもっと大幅に引き下げる、そんな方向が、差し迫った対処策として打ち出される可能性も高かったのではなかろうか。或は、台湾有事に関しても、欧州のコミットが,もっと小さかったかも知れない、更には、AI等の技術進歩促進と、その逆の規制強化についても、日本の利害が考慮される余地が、恐らくはもっと少なくなっていたのではあるまいか。

 

ところが、主催国は日本だった。

最終結論の方向性を煮詰める際,主催国の意向がかなりの程度反映されることになるであろうこと、容易に想定されるところだ。だから、日本のサミット準備方が、上手く事前に交渉し、段取りを取り付ければ、緊急共同対処の方向性の中に,日本の立場もかなりの程度採り入れられたものになっているはず。

逆にいえば、この会議で当面のG-7の姿勢が一層固まると観る、中国やロシアなどが,その取りまとめで指導的役割を果たす日本に、常以上にきびしい目を向けるのも“宜なるかな”と言うべきなのだ。さしずめ、日本各地で行なわれている、各分野の担当大臣会合の場などが、そうした下交渉の舞台になっていることだろう。

そんな日本の立場を熟知しているが故に、チャットGPTの社長が直前日本にやってきた。或は、黒田日銀総裁が職を離れ,恐らくは万人の頭に、急速か徐々かは別にして、日本の金融政策が早晩変る,との見方が定着しており、その様子を肌で知るため,欧米の投資家も相次いでサミット前の日本にやって来ている。日本株が当面、予想以上に値上がっているのも、世界の関心が、今の日本が享受している脚光の大きさに向けられているからに他なるまい。だが、この脚光、短期の僥倖であることを忘れてはならない。

気になるのは、「混迷の世界の今への具体的対処策」を煮詰める、今回のサミットの準備に際し、日本自身の手中に「日本の将来に対するキチッとした、全体ビジョンが出来上がっているか」、大いに不安がある点だ。

 

2.激変した日本社会

 

今手許にある、塩野七生氏の「ローマ人の物語Ⅷ;迷走する帝国」を読むと、台頭期のローマと衰退期のローマで、社会が如何に違ってしまっていたか強調されている。日本も同じではないか、フッとそんな考えが頭を過ぎった。

 

改めて日本を見直すと、社会は失われた30年で激変してしまっている。

「一人当たりGDPは殆ど伸びず、円は安くなり、日本の賃金は周辺諸国よりも低い」

「30年前には、賃金の安いアジア諸国に生産委託していた日本の企業も、今や、そんな安い下請け料では、アジア企業に請け負って貰えない…」。

「今や,ワン・コインで昼食を食べられるのは、先進国では日本だけ…」。

「最近のホテル・旅館業界、リノベブームで新規開店がやたらと多いが、その実態は、所有は外国のファンド、経営委託は日本のコンサルが請け負う。要は、一種の逆下請け…」。

これら現象は、円安下で、外国資本に安く買われた日本の企業や不動産の、きびしい実態を反映したものに他ならない。

そもそも振り返ると、この間に打ち出された政府の各種政策が、どれ程迄に練り上げられたものだったのか、当時もそうだったが、今になっても疑念が絶えない。

例えば、デフレ脱却を主張しながら、それと相矛盾する政策を併走させる…。具体的には、同じ時期に、キャッシュレス導入のための、ポイント還元キャンペーンを大々的に展開する。これなど、一面から観れば、商品の納入業者がそれだけ安く品物を提供していた証左ではないのか。デフレを回避して、インフレを惹起しようと努力している、丁度そんな時に…。

或は、日本が既に、金融・サービス立国になっていたのに、製造業、しかもその多くが海外生産を加速させていたというのに、そんな実態には目もくれず、相も変わらぬ製造業メンタリエィーに基づく円安政策に走る…。

更には、マイナス金利政策…。日本が高齢化社会を迎え、そして高齢者には、銀行預金に金利がつくことが、何よりも安心材料だったはずなのに…。そして、これ迄日本では、「蟻とキリギリス」のイソップ童話の、“蟻”よろしく、「時間をかけて着実に努力して、始めて成果を手に入れる」、そんな健全な保守精神が満ちていたのに…。そんな実態を深く考えもせず、「時間をかければ元本が減る」マイナス金利政策にいきなり突っ込む。社会に与える影響が殆ど議論されないまま、始めに結論ありきで突っ走る。

こんな諸々の政策導入振りを今振り返ると、大昔、筆者が初めてニューヨークに赴任したとき、当時のレーガン次期大統領が、正式に大統領に就任する直前、米紙に寄稿した文中で「強調していた主張」を思い出さずにはいられない。曰く「統治する者が、統治される者よりも賢いなどと、誰が決めつけた」。

 

失われた30年を経験した今の日本。30年前にはコンセンサスのあった、当時の社会への見方も、今では最早、妥当しなくなっているケースが多い。

例えば、「日本は今でも、おもてなしの国か」、「治安の良いのは日本の誇りだったが、今でもそうか」、「日本は技術大国だった、今でもそうだろうか」、「職場規律の良さや、チームワークは日本の十八番だったが、今でもそう言い切れるか」等など。

 

この30年の、殆ど成長しなかった時代に、“茹でガエル病状”を煩った日本社会は、他とは違う異質なことを一切しなくなり、結局、社会全体としては、変わりゆく経済・ビジネス環境に、対応する革新を生み出せずに来てしまった。

勿論、経済メカニズム内部に、投資するカネがなかったわけではない。企業の手許には記録的水準のキャッシュが残っていたが、逆に労働分配率は低下の一途を辿った。欧米経営者の前で、こんな現象をどう言い繕っても、「日本の経営陣にアニマル・スピリットがなかった」の一言で、議論にもならないだろう。

 

というわけで、歳取った筆者は書庫の中から、1999年に書かれた、森嶋通夫教授(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)著、「何故、日本は没落するか」という本を引っ張り出し、再読、その指摘に納得し、今や完全に填まってしまっている。

参考までに、同書の指摘を記述しておけば、概要は以下の通り。

「私は、人間が社会の土台だと考える…現在の13歳と18歳の人を見て、50年後にどんな人間になっているかを推定すれば、50年後の日本社会の土台の主要メンバーを押し測ることが出来る。人口史観で、一番重要な要素は経済学ではなく、教育学…土台の質が悪ければ、経済の効率も悪く、日本が没落する…。私は、こういう方法によって、没落を予言する…」

「労働人口の構成という観点から見れば、日本は1980年代に急速に変化した。各部門の現役の幹部…、新制教育を受けた官僚からなる行政部門、伝統的な行動様式でないと動かない政界、儒教的思考を残していた戦後過渡期の教育を受けた経営幹部と戦後教育を終始一貫受けた一般社員クラス…、1980年代までは、曲がりなりにもこの3種類の人的要素が団結していた。だが、その団結は、1990年代になると、それぞれのジャンルの各種幹部層が、社会から引退するにつれ、崩壊してしまった…」

こうした、異なった教育を受けた世代層の交代という現象分析の上に、森嶋教授は24年前、①社会を指導する精神の荒廃(エリート主義の欠如、職業倫理の退廃、寛容がもたらした思想的分裂)、②金融の崩壊(日本人の土地願望や土地崇拝、ノルマ指向の最悪の経営や日本的ビッグバン【こんな銀行までが海外支店を…】、③産業の荒廃(金融と産業の連動、イノベーションの欠落)、そして④教育の荒廃(進学率の高さと高等教育の質の悪さ、高学歴化の社会への影響等など)を取り上げ、前記の“日本没落”と言う結論を導いたのだった。

そして、実際に没落への兆候を認め始めた2023年にあって、そうなった、少なくとも一つの要素に、「深い議論と検証の裏付けのない、乱暴な政策打ち出し」という、政治退廃があったのではないか、筆者のような政治の素人には、どうしてもそのように思えて仕方がないのだ。

今回のG-7が、日本にとって極めて貴重なチャンスであると理解するが故に、事前の各種下準備会合において、各担当大臣なり、実務担当者が、日本としての各省共通の、将来ビジョンに立脚して、各部面での交渉に臨んでいるか、そうした詳細を是非知りたいと思った次第。交渉の際には、基本的立場と達成目標が当然にあるはずで、その基本原則と日本の将来ビジョンの全体像が、どうリンクづけられているのか、国民として、「当然知っていて良いこと」なのだから…。

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