“新しい資本主義実現”、失われた30年を背景に、その意義を読み解いてみれば…
本日(2月23日)の新聞各紙の一面には、「日経平均34年ぶりの最高値」という文字が躍り、今後は「日本経済の改革持続が焦点に」との解説が報じられている。
そんな折故、改めて、岸田総理の謳い文句、“新しい資本主義実現”の意義を、紐解いてみようと思い立った。
2021年11月、岸田政権は「成長と分配の好循環の実現」、「コロナ後の新しい社会の開拓」という2つの近未来目標を提示、現行の日本の経済システムを、そうした“新しい資本主義“を体現するものに変えて行く、と宣言した。
そこに披瀝された問題意識は、1980年代以降、日本経済は、短期の株主価値重視、中間層の伸び悩み、所得格差の拡大、下請け企業へのしわ寄せ、自然環境への配慮の欠如など、多くの問題を抱えるようになっており、それらの諸問題の解決を、今後は、“市場に任せてしまう”のではなく、“官民の連携“で方向を誘導、対応して行く必要がある、というもの。
そして、この岸田宣言以降、その骨格の肉付けと具体的な実現手法の検討が始まり、それらの検討成果は、2022年、2023年、2024年の、それぞれの年初施政方針演説の中で明示され、当該年度の予算に組み込むことを通じて、目標実現に向けての環境整備が図られつつある、というのが現状。
こうした方向の中で、現在までに具体的に浮き上がってきているのが、①科学技術立国化(AIや量子技術、EVやバイオ、DXやGX等分野での科学技術発展の促進、並びに実社会への導入)、②人への投資(賃上げ、新しい産業構造へのスムーズな労働移動【リスキング教育、ジョブ型雇用制度への移行】)、③スタートアップ企業の育成・助成、④資産所得倍増計画(個人金融資産を国民所得の伸びへの貢献と日本経済の稼ぐ力に転換させる:新NISA導入などによる家計資産の貯蓄→投資への転換誘導)等など。
政治とは何とも不思議なもの…。
「日本を取り戻す」と、その志を真っ向から振りかざし、異次元の金融緩和→機動的財政発動→新産業創出という三本の矢政策を打ち出しながら、結果的に新産業創出まで辿り着けず、いたずらに異次元緩和を継続し、挙げ句はマイナス金利にまで踏み込み、長期にわたる金利なき世界を生み出し、更には財政赤字を累積させた安倍前政権の政策…。
現政権は、そうした前政権の中途半端な政策結果を批判することなく(前政権を支えた党内基盤の反感を買うことなく)、代わりに現実となった“失われた30年”を強調することで、暗黙裏に、多くのマイナス要素を抱え込んだままの日本経済の「低迷からの脱却」を政策追求の至上課題に浮かび上がらせ、その為には「新しい資本主義の実現が必要だ」と、論理と強調点を大幅に変えたのだ。
そうしたやり方で、何やら新しさを出したような感覚を社会に与えながら、これまでの自党の政策を失敗と決めつけず、しかし結果としては前政権の路線に「大幅な軌道修正」を施そうとする、そんな現政権の意志をそこに読み取るのは、余りに政治的過ぎる“偏った”見方であろうか。
翻ってみると、これまでの30年間で、日本が何故、諸外国と比べて、経済成長力で見劣りしてしまったのか…。
内閣府の潜在成長力統計などを見ると、日本はこの間、ほぼ一貫して労働投入量がマイナス領域に沈み、国内での資本投入量はプラスだったものの、諸外国のそれに比べると、相対的に低いレベルで推移、その結果、経済成長(実際には横ばい推移だったが)に寄与したのは、資本と労働以外の要素、つまりは全要素生産性(Residual)だったことがわかる。これを言い換えると、成長要因は、偏に技術進歩だったと言うことになる。
この間、とりわけアベノミクスの期間、海外展開していた日本企業の多くは、異次元の金融緩和によってもたらされた円安の恩恵をフルに享受、嘗てないほどの高収益を懐にし続け、手許には潤沢な資金が残っていたはず…。
政府も亦、投資減税などの措置を講じ、企業投資を誘発しようと試みていたはず…。
それなのに何故、企業の国内投資が全開にならなかったのか…。
結論を記せば、大半の企業はその儲けを国内投資に回さず(海外での投資や海外でのM&Aには熱心だったが)、従って雇用も増やさず、株式市場での自社株買いや配当支払いに充当し、或は、大半を内部留保として手中に留めるのに終始したからである。言い換えると、本来なら投資の主体たるべき日本の企業が、GDP創出フローの見地からすると、家計と並んで貯蓄主体化し、経済全体での投資機能は専ら政府部門が独りで担ってきたということになるわけで、結果は既に明らかなように、財政赤字の拡大と、それを支えるための金利水準の大幅低下の放置であり、PBR 1以下の企業の続出だった。
別の見方をすれば、この間、日本の経営者の中に、シュムペーター流の「創造的破壊者」は出てこなかったし、ケインズ流の「アニマル・スピリット」を発揮した経営者も少なかった。同じ時期、米国ではGAFAに代表される新興技術企業が台頭していたのと比べると、残念ながら、経営総体としての、日米のこの差の違いは明らかだろう。
さらに、この過程を通して強調すべき点は、この期間、日本経済の資本分配率は高まり続け、その反面現象として、労働分配率が低下の一途を辿ったことだろう。結果、労働側の取り分は相対的に減り、給与水準は低位で推移、それが以後の消費低迷の主因となった。
結果、「今日に比べて明日の生活レベルを上げる」ためには、個々の家計は夫婦共働きを常とするようになる。換言すれば、生計を支え、ローンで家を買い、子供を育てていくには、これまでのように夫一人が働くだけではなく、妻が働くことに依存する、つまり家計の財布が2つになったわけだ。
こうした変貌は、筆者が嘗て勤務した80年代の米国でも観られた現象で、そうしたトレンドを当時の米国は、DINX(Double Income No Kids)等ともてはやし、その結果の副産物とも言うべき女性の社会進出加速が、どちらかと言えば前向きに評価されていた。
だが、そんな実態の裏面を見ると…。女性の社会進出は進んだものの、企業内には“見えない天井(Glass Ceiling)”が存在するとして、組織内の女性差別問題が大きくクローズアップされ、亦、夫婦共稼ぎは離婚数を増やし、子連れで離婚したシングルマザーの貧困率が上昇する等の問題も発生した。
一方、公的扶助の薄さやSocial Safety Netの不備も次々と顕在化し、時のレーガン政権は、そうした不備をFamily Valueを強調することで、何とか封じ込めようと努力していた。
つまり、“失われた30年”の間に日本経済に起こった構造変化も、実は80年代初頭の、戦後最大のレーガン不況期の米国での変化と似たようなものだ、というわけだ。
そんな観点で、もう一つ指摘しておくべきは、特にコロナ禍で、日本経済の金融経済化も遅まきながら一歩進んだことだろう。
利用出来る手許の統計(日本銀行編)で見る限り、日本の名目GDPに占める金融資産の比率は、2000年初頭の2.7倍から2020年には3.6倍に増えている。だが、この傾向は、同じ期間の米国の方が一層顕著で、2000年初頭の3.6倍が、2020年には5倍にまで拡大している。
要は、景気低迷下、財政を通じて市中に拡散された購買力が、実態経済面での活動が鈍っていた中、金融資産の購入に向けられたというわけだが、その際、新興企業を輩出していた米国の方が、企業の証券発行等を通じての資金需要も大きく、新興企業や新技術の取り込み意欲の乏しかった日本を遙かに凌駕したのだった。
では、こうした状況下、「新しい資本主義」を打ち出すことで、岸田政権は具体的に何をしようとしているのか…。具体的に列記してみよう。
先ず何よりも、日本は、今後も人口減少が想定され、故に投下労働量は増えない。労働分配率が低いままでは、消費もこれ以上増やしようがない…。だから、直近の経済活性化、つまり消費の引き上げには、1)低下した労働分配率を大きく引き上げること、言い換えると、賃上げの促進が第一に来なければならない。
しかし反面、企業には資金余力がある。だが、需要不足に悩み続けたこれまでの日本では、企業の手許の金は、中々実態面での投資に回らなかった。客観状況が変わらなければ、今後も恐らく、企業は投資を増やさないだろう…。だから、2)前記生産関数的アプローチでは、成長促進要素はたった一つ、つまり、全要素生産性を高めること、つまりは、技術進歩を促す以外の方法はない、ということになる。
だが、技術発展の有望分野はどこに在るのか…。だから、3)企業がどの分野での技術開発に邁進すれば良いか、官民のコンセンサスで、将来の有望分野を特定し、その分野に企業の技術開発を誘導する必要がある。こうした科学技術立国化の脈絡、並びに国際情勢を俯瞰した脈絡で、選ばれた分野がAIや量子技術、EVやバイオ、DXやGX等の分野なのだ。
亦、そうした新技術とそれに伴う新型ビジネスモデルは、概ねスタートアップ企業によって創出されるケースが多い。だから、4)スタートアップの育成・助成も大きな目玉政策に浮上してくる。
加えて、日本経済に豊富な個人貯蓄を、投資の源泉として動員出来れば、鬼に金棒。故に、豊富な個人貯蓄を、官民が促進しようとする投資分野に誘導する仕組みが必要となる…。だから、5)資産所得倍増計画という名の、貯蓄から投資への具体的誘導路が産み出される。個人貯蓄を、新NISAの仕組みを通じて、将来値上がりが期待出来、或は、配当が期待出来る各種金融資産保有の形に変質させようというわけだ。そうした金融投資は亦、長期的視点で見る限り、値上がりを通じて、個人資産の増大に直結する。
だが、こうした“新しい資本主義”の試行にも、当然のことながら、無数のリスクが随伴される。以下に、その種リスクの例を2~3,例示して今回のエッセイを終わりにしたい。
1)これまで縷々述べてきたように、当面、日本経済復活へのキックオフ役としては、技術進歩を強調するしかないのが実態だが、本来、技術開発はリスクを伴うもの。全ての努力が報われるはずもなかろう。だが、そこは、「やってみるしかない」と言うのが実態だろう。だとすれば、政治・行政に出来ることは、技術開発の可能性を高らかに謳い、その実現に向けて確率を高めて行くしかないわけで、そのためには、今日のような情勢下では、米欧との協調による路線設定という前提が外せない。脱炭素やEV開発面での協調、AIや量子技術の開発などは、概ねそんな路線設定を前提にやって来たはずだ。ところが、そこに“もしトラ”のファクターが芽生えてきたら、慎重に敷いてきた米欧との協調の前提が脆くも崩壊しかねない。いわば、その種の政策リスクが避けられないのではなかろうか…。
2)技術進歩は社会を変える。DXやGX等で、サービスの供給側は、生産性の大幅な伸びが期待出来ようし、省力化のメリットも出てくるだろう。だが、そんな関連分野の知識が十二分に備わらない需要者の側には、多くのデメリットも派生してくるのではなかろうか。昨今のネット難民の発生や、ネットを通じての犯罪行為の蔓延などは、そうした技術進歩が社会にもたらした負の側面に他なるまい。そして、その悪影響の度合いが大きければ、これまで日本が無償で享受してきた、社会における安心・安全が、一気に損なわれる危険、なきにしもあらずと言うことになる。技術開発に伴う、産業構造の激変と構造的失業の発生の可能性などを考えると、現時点での、需要者サイドでのリスキング教育などは、甚だ不十分と言わざるをえないのではないだろうか…。
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