鷲尾レポート

  • 2024.05.20

人工中絶を巡る政治劇;最高裁の変心、州政治への波及、大統領選挙への影響

今から約2年前、2022年6月24日、米国連邦最高裁判所はDobbs V Jackson Women’s Health Organization案件で、「合衆国憲法は、人工中絶の権利を保障していない」との判断を示し、1973年1月に下されていた、Roe V Wade 案件に関しての連邦最高裁判決「妊娠中絶は、米国憲法により保障された権利」を覆した。

  1. 何故、最高裁は、50年以上続き、既に社会の支柱となっていた判断を、今頃になって覆したのか・・・。或は、覆すことが可能だったのか・・・。言い替えると、2022年の最高裁での判断決定に際し、どんな政治力学が働き、それに判事達がどのように応じ、結果、前例を覆す判断に至ったのか・・・。
  2. この判決変更が、その後、各州での共和党・民主党の政党対立に、どのように波及して行っているのか・・・。
  3. そうした対立が、2024年、トランプ・バイデンの大統領選挙戦にどう影響してくるのだろうか・・・。

先ずは①から、少し長くなるが、概観してみよう。

Dobbs(ミシシッピー州の厚生行政の責任者)案件が、連邦最高裁に持ち込まれたのは2020年6月だった。それに先立つ、2018年3月、ミシシッピーの州議会共和党が、「妊娠15週間を過ぎた堕胎は認められない」との、中絶禁止を目指した州法を採択、共和党知事もそれに同意し、同州内で唯一人工中絶手術を行なってきたジャクソン女性健康診療所の閉鎖を試みた。この動きに対し、診療所側が提訴し、裁判となった。

第一審のJackson連邦地裁では、既に確立されている1973年のRoe案件での連邦最高裁判所判断の線に従った判決で、州側敗訴の判決が下された。更に、州側の提訴を受けた、第二審の第五管区連邦控訴審でも、同様の判決「胎児に自らの生存能力がつく以前【通常、妊娠後23週間以内―A woman’s right to choose an abortion before viability―】なら、妊婦は堕胎を選ぶ権利を有する」が下された。だが、州内共和党の政治圧力を受けた形のミシシッピー州当局としては、勝算のないまま、後は連邦最高裁に上訴するしか手がなくなっていた。

***妊娠15週間後とか、妊娠後23週間以内とか、中絶が許されない期間に表現の違いが出ているが、ここでは立入らない:問題の核心が、中絶は憲法上の権利かどうか、にあるのだから・・・)。

そんな中、当時のトランプ大統領は、「最高裁判事の次期補充に際しては、Roe判決を覆す考えの持ち主を指名する」と宣言、ミシシッピー州共和党の背中を押した。

そうした経緯を経て、2020年6月、本案件は連邦最高裁の手許に届くことになる。
最高裁判事の任期は、本人が自発的に辞職を申し出ない限り、終身だが、当時の最高裁の構成は、民主党大統領が指名したリベラル派判事が4名、共和党大統領の指名した保守派判事が5名の構成。そして、その保守派の一人、John Roberts判事が2005年以降、最高裁の長官を務めていた。

Roberts 長官は、保守派に属するが、それにもまして最高裁の威信維持に注力する法曹人だった。言い換えると、最高裁が下した判決は、前例として尊重されなければならない、との信念の持ち主だった。

亦、9名定員の裁判所内の規律として、前例を覆す判決には、少なくとも5名以上の判事が賛成すること、との慣例も確立されていた(the court’s rules required that at least five justices had to agree on the position for it to hold. Otherwise, the rationale resting on the narrowest grounds would prevail: NYT 2023年12月15日)。

いずれにせよ、そんな慣例ルールや長官本人の心情を加味すれば、裁判所内の保守派が、過去の先例を覆すためには、最低でも賛成5票の形に持って行かねばならない。

だが、Roberts 長官を別格にすれば、最高裁内部でのリベラル派対保守派の勢力は4対4で拮抗しているのが実態。加えて、保守派4名の中からも、状況によっては、保守派に同調しない者が現れる可能性もある(例えば、大統領の指名を承認する上院での公聴会の席上、Roe判決を支持するかとの上院民主党議員の質問に、yesと答えた判事も居たのだから・・・)。つまり、言い換えると、ミシシッピー州側が、最高裁からRoe判決を覆す判断を引き出せる可能性は極めて低い、というのが当時の常識であった。

だがそんな事態の裏側では、最高裁の中で、最もリベラルとして知られたGinsburg女史の壮絶な癌との戦いが続いていた。Ginsburg判事は、保守派のトランプ大統領が何を狙っているか、熟知している。「自分が死んだら、きっと保守派の、Roe判決を覆す主張の候補者を、後任として指名するだろう」と・・・。既にミシシッピー州案件が最高裁の手許に届いてもいる・・・。
「だから、女性の中絶権を護るためには、何としてでも、自分は生き延び、自分の目の黒いうちに、ミシシッピー案件を拒絶してしまわなければならない」と・・・。

彼女は必死になって、癌で痛めつけられる身体に、猶も鞭打って、己の職務に励もうとした。自宅を緊急事務所に仕立て、そこに立て籠もって仕事に励んだ。だが、そんな努力にも拘わらず、2020年9月18日、Ginsberg判事は死んでしまう。

最高裁判事の死に伴う、後任の補充には、時々の政治判断(しかも最高レベルでの)が関わるケースが多い。

よく知られた例は、2016年、当時のAntonin Scalia判事(共和党レーガン大統領が指名)が死去したときの連邦議会の対応であろう。時の民主党オバマ大統領の任期は残り数ヶ月。当時の連邦議会上院は共和党優位。だから、上院共和党のマコーネル院内総務は、「選挙まであと僅か、三選のない大統領職も、上院議員達も入れ替わる。だから、新判事の指名や承認は、新しい大統領、新しい上院に任せよう」と主張、オバマ政権下での承認公聴会開催を頑なに拒む策に出た。民主党の大統領にとって、上院での共和党優位の弊害は、こんな処に出てくるものなのだ。いずれにせよ、この時、民主党は、保守派判事の死に伴う、リベラル派判事への入れ替えの機会を、上院共和党の策略によって失したのだった。それが後日、このミシシッピー案件を最高裁が取り上げた時、大きく効いてくるのだが・・・。いずれにせよ、翌年早々、新しい判事を指名したのは、就任したばかりの共和党トランプ大統領だった。

上記事例を、共和党マコーミック院内内総務の策略と呼ぶのは、Ginsburg判事の死によって、同じようなケースが2020年10月に起こったとき、同院内総務は、時の大統領が共和党のトランプだったため、前回とは全く違う対応振りを示したからである。

大統領選挙まで7週間を切った段階であったにも拘わらず、マコーネル院内総務は、トランプ大統領指名の最高裁判事承認公聴会を強行、リベラル派のGinsbergの後任に、新しく保守派のKavanaugh判事を承認してしまう(上院での正式承認は10月26日:2020年11月の大統領選挙の郵送による早期投票が既に始まっていたタイミングだった)。ここでも亦、民主党は、この選挙で折角バイデン大統領を当選させながら、数ヶ月の遅れで。リベラル派Ginsberg判事の後任に、新たなリベラル派を起用する機会を奪われてしまうことになったわけだ。

こうした連邦最高裁側の人事を巡るジグザグ振りと、内実、保守派が6名・リベラル派が3名の構成に変わったのをチャンスと捉えたミシシッピー州側は、2021年12月、それまでの主張をより強硬なものに変質させた(これまでは、同州の法律は、最高裁のRoe判決と矛盾するものではないとのトーンを前面に出していたのを、全く改め、Roe 判決は間違っている、との主張を前面に出してくるようになった)。

その主張変更の背景には、同州側の訴訟代理人(Solicitor general)が、保守派のThomas判事の下で、嘗て働いていたことのあるScott Stewartに替わっていたという事実があった。この人事変更も、何やら意味深のようではないか・・・。

いずれにせよ、南部共和党保守派にとって、最高裁のリベラル派対保守派の構成比が変わったことは、Roe判決を覆す絶好の機会到来と映ったのだろう。

かくして最高裁は、2021年12月末、内部で会議を開き、ミシシッピー州側の主張を取り上げるか、或は、控訴審判断通り、ミシシッピー州の主張を却下するか、議論の末に票決を行なったが、その結果は「取り上げる」が5票、「控訴審判決を支持する」が3票、Roberts長官は「妊娠15週間後は中絶禁止、というミシシッピー側の主張は認める」とだけ述べたという。いずれにせよ、これで、実質的に、Roe判決を覆す方向で判断する、との方針が決まることになった。だが、最高裁は、Ginsburg判事の死去から未だ日が浅いと言うこともあって、「取り上げ決定」を対外公表しなかった。

その後、「取り上げる」に票を投じた5名の判事の中から、Samuel Alito Jr判事が判決文を書くことになり、翌年2022年2月、98ページにも及ぶ長文の原案が各判事に配られたが、長文故に、とても読み込めないはずの、僅か10分後にはもう、保守派のGorsuch判事からは「変更点はなし、これでOK」の返事が届けられ、翌朝には、残りの保守派Thomas判事と、Barret判事が賛成との返事を送り返してきたという。この3人のいずれからも、文章や言い振りの変更要求は出なかった由。

この事実を、NYT紙(上記2023年12月15日付け)は、「保守派(5名)は、リベラル派に内容を知らせず、自分たちだけが起草原案を予め知っていた」からではないかと、推論した(上記2023年12月15日付け)。
しかも、数ヶ月後、この対外マル秘のはずの原文が外部にリークされた。前代未聞のことだったが、未だに誰がどういう理由で外部にリークしたのか、分らず仕舞い。

こうした一連の出来事は、最高裁判所内部で、本件を巡り、リベラル派と保守派の関係が如何に緊張していたかを、容易に想像させるものだろう。
いずれにせよ、上記の過程を経て下された、Dobbs V Jacson Women’s Health Organization案件での最高裁判決の意味するところは、Alito判事が判決文の中で記したように、”Supreme Court stepped away from the abortion debate and intended to return that authority to the people and their representatives”と言う点に尽きている。

②の問題に移ろう。

この最高裁判決の変更で、中絶の可否は「連邦憲法の決めることではない」、「それは人々自ら、或は人々の代表者が決めることだ」と言い放たれた形の各州、延いては各州の共和党・民主党は、その後、どういう対応振りを見せるようになったのだろうか・・・。

ここで亦、話のスタートを、判決前にまで戻さねばならない。

そもそも、中絶問題を巡る共和党と民主党の戦いは、Dobbs判決以前から既に激烈だった。南部や中西部各州の共和党は、福音派キリスト教会などの強力な後押しを得て、地域一帯で、中絶禁止を成立させる運動に精力的に取り組んでいた。これまで本稿で取り上げてきたミシシッピー州での取り組みもその一環だった。

当時、同じような中絶禁止、或は抑制を、共和党主導で州法化したのは、ミシシッピーの他に、アラバマ、アーカンサス、ジョージア、アイオワ、ケンタッキー、ルイジアナ、ミズーリー、ノースダコタ、オハイオ、サウス・カロライナ、テネシー、及びユタの13州。しかし、これらの州法の多くは、Roe 判決を蹈襲した連邦裁判所の判断で、実際の執行を止められるケースが殆どだった。

言い換えると、連邦最高裁がこれまで、Roe判決で「米国憲法は中絶の権利を認めている」と断言していた以上、中絶規制派の南部や中西部農村州の共和党としては、中絶許容の期間を出来るだけ狭めることや、中絶禁止の法律の執行を、判例に抵触しないでどれだけ広く施行できるようにするか、そう言った方向での詳細に活路を開くしかなかったのだ。

だが、そんな環境の中、最もユニークな方法で中絶を止めようとし、最高裁を出し抜いたのがテキサス州法だった。

妊娠6週間以上経た女性に、中絶手術を施した場合、その事実を知った一般人が診療所を提訴出来る。その際の訴訟費用は、勝訴の場合、自ら支払った訴訟費用と別途1万ドルを診療所側から取り立てる。敗訴の場合でも、被告側の訴訟費用を支払う義務は負わない。亦、中絶を受けた女性と、訴訟を起こした一般人との間に、何ら関係がなくても、訴訟は可。女性は罪を問われず、罪を問われるのは手術した診療所。

つまり、これは一般人を法執行の代行者に起用するやり方。診療所側にしてみれば、何時、誰から訴訟を起こされるか分らない、そんな意味で、この州法は、診療所側に中絶手術を躊躇させる、そんな意味での抑制効果も期待出来る。

換言すれば、連邦政府や州政府といった公権力が、中絶阻止に動く必要もない。社会の監視が、中絶を抑止することになるだけ。そう言った意味で、このテキサス法は、連邦最高裁判所の審査を巧妙に避ける工夫が盛り沢山取り入れられていた。

そんな州法の発効停止を求める緊急請願が、2021年9月1日の施行を前にした、僅か2日前の8月末に、いきなり中絶擁護団体の手で、連邦最高裁判所に持ち込まれて来たのだ。

この奇襲にも譬えられる、短期間に目の前に持ち込まれた緊急案件に、連邦最高裁は対応できなかった。最高裁判事の中で、「取り上げる:つまりは法の発効を一時停止させる」ことに賛成4(リベラル派3名と長官)、反対5(保守派)と票が割れ、このテキサス州法の発効を阻止できずに終わってしまう。

裏を返せば、連邦最高裁判所は、この法の施行を止められなかった時点で、「中絶は憲法が認める権利」だとの、これまでの前例がみすみす破られて行くのを、唯、手を拱いて見ているしかない立場に身を置いたのだ。勿論、そうした姿勢は、連邦最高裁判事の中の中絶規制派(保守派)にとっては、むしろRoe判決の空洞化に繋がるといった意味で、好ましいことであっただろうが・・・。

だが、こうした状況は、何度も記述してきたように、テキサス州法案件の直後、2022年6月24日の連邦最高裁判所のDobbs判決で一変する。
先ず前提が変わる。「中絶の権利は憲法が要請しているものではない。それは人々やその代表者が決めれば良いことだ」と・・・。つまり、南部や中西部の共和党保守派などにとっては、これまでもそうしようと思っていたことを、今後も続けて、一層有効な中絶規制の途を模索して行けば良いのだと・・・。亦現実は、そこまで意気込まなくても、前述の14の州法(含むテキサス)が既に再度の息吹を与えられている。

一方、中絶擁護派は、これまでは最高裁判所のRoe判決に助けを求めれば良かったのが、今後はそうではなくなる。これら地域の自分たちで、中絶擁護のフレームを新たに創り出さなければならない。だが、そのためにはどうすれば良いのか・・・。

やり方は様々あり得る。もしも当該州で中絶容認派が多数なら、南部や中西部の共和党と同じやり方、つまり州議会で州法化するなり、州知事の権限で中絶へのアクセスを保障すれば良い。事実、幾つかのリベラルな州では、民主党主導でそのような州法なり知事命令が発出されている。

だが、それらは州内の多数党が変われば、容易に変更させられてしまう。

そんな不確実性を払拭するには、今回大統領選挙と同時に実施される州民投票のテーマに、「中絶承認規定を挿入する州憲法改正」提案や、或は、「妊娠後一定の期間を経過しても、中絶は可能」との提案等を取り挙げさせて、当該州の有権者が、そうした提案を直接採択すれば良い

***この点では、中絶反対の立場からも、同様の議論がなし得る。州憲法に、中絶は許されないとの趣旨の条項を、挿入する提案を行なう等で・・・。だが、筆者の知る限り、中絶禁止を州民投票にかける提案は、ウイスコンシンやアイオワ、ペンシルバニアやルイジアナ、或はメインなどで試みられたが、いずれも当該州の議会を通過せず、今のところは失敗に終わっているようだ。それ故、以下では理解を容易にするため、敢えて、中絶擁護派の動きだけを書き留めておく。

上記には、敢えて書かなかったが、フロリダ州も2023年4月に、中絶を禁じる州法を制定し、その時点で、デサントス知事が署名している(実際の発効は、1年後の2024年5月1日)。

しかし、この州法の成立は、同知事が大統領選挙戦に出馬するにあたっての、フロリダ州共和党側からの出陣祝いのようなもの。同知事が、選挙戦から脱落して以降は、デサントス自身、中絶禁止法を全く話題にしていない。だが、このフロリダ州法が制定されて1年経ち、漸く発効された今、その潜在的実害は非情に大きなものとなることが予想されている。

妊娠後6週間を経た妊婦は、中絶出来ない、と規定するこの州法によって、同州内のみならず、南部一帯の周辺州(いずれも、既に同様な中絶禁止法が施行されている)の中絶希望者達は、堕堕手術を行なう診療所のあるノースカロライナやバージニアまで、遠路旅して行かざるをえなくなったからである(これまでは、中絶希望者達はフロリダに来ていた)。しかも、それらの診療所に遠路行ってみても、事前予約がなくて手術が受けられないケースが多発する事態に・・・。

それ故、最近、中絶手術に替わって、急速に堕胎手段化してきたのがフェンタニル素材入りのピル・・・。周知のように、フェンタニルは今では麻薬に替わる、薬物視されている危険薬。それがオンライン診療や郵送による入手経路の拡大などで、中絶希望者が実際の診療所に行かなくても手に入るようになった。

そして付記しておくべきは、フェンタニルの輸入源が中国であり、更に、中絶規制法を有する当該州当局が、中絶希望者の郵送によるフェンタニル・ピルの入手を阻止しようとしても、郵便物は連邦政府の所管、州当局に郵便物をチェックする権限がない。つまり、こうした面でも、昨今の米中関係の対立激化や、連邦と州の規制対象の違いなどが、どうしても顔を出してくるのだ。

そうした、州当局の手では規制しにくい間隙を縫って、ピルを使っての中絶が激増している。NYT紙の記事(2024年5月2日付け)によると、現状、実際の中絶件数の約3分の2は、このピルを使ったものだとのこと。この指摘が正しいとすれば、中絶希望者の間での、このピル人気の上昇は、真に、「規制すれば地に潜る」の典型例ではないだろうか・・・。

亦、フェンタニルは依存性が強く、過度に服用すれば精神疾患を発病し、死にも至る危険薬。だから、今回の大統領選挙でも、その取り締まりに向け、有権者の関心も高い。こんな処にも、今の米国社会での、中絶問題と薬物問題が錯綜している実態が垣間見られるというものだろう。

話をフロリダ州の中絶禁止法に戻せば、実態上、フロリダ州内での中絶禁止の声は実はそれほど大きくはない。むしろ中絶擁護派の方が多いぐらい。

だから、中絶擁護派は、こうした状況下、抜本的な中絶容認の州民投票を、大統領選挙時に併せて行えるよう、現在、署名集めに余念がない。つまり、中絶禁止法の制定そのものが、デサントスの大統領選出馬に向けた実績作りだったわけだが、その必要がなくなれば、中絶規制推進の動きも削がれる。現状は、フロリダ州民は、全く逆の動き、すなわち中絶承認のための州民投票準備に入っているのだから・・・。

現時点で既に、カリフォルニア、カンサス、ケンタッキー、ミシガン、モンタナ、オハイオ、ヴァーモントの7州では、11月の大統領選挙と同時併催される州民投票のアジェンダに、何らかの中絶容認提案が掲載されることが決まっている。

唯、その後、上記以外に、何州が中絶容認の州民投票を実現させ得るか、現時点では未だ最終の姿を描ききれない。州民投票に載せるための条件が州毎に余りに違いすぎるからである。例えばある州では、掲載のためには州議会の承認が要ると規定されていたり、他の州では、請願者の人数が一定数以上なければならないと規定されていたり・・・。

そうした違いを承知の上で、現在、中絶擁護派が州民投票実現に向け積極的に活動を続けている州を、筆者の知る限り列挙してみれば、前記フロリダに加え、メリーランド、アリゾナ、コロラド、ミズーリー、モンタナ、ネブラスカ、ネバダ、ニューヨーク、サウスダコタ等々(5月7日現在)。

民主党支持者の多いブルー州、共和党支持者の多いレッド州、そのいずれでも有権者は、中絶に対し、完全に門戸を閉ざすことには反対の意見を持っていることが、こんな中絶擁護派の動きを見ていても、何となく感知できるのではあるまいか・・・。

***リベラルなイメージの強いニュ-ヨークが、未だに州民投票への道を開いていない(5月7日現在)のは驚きだが、よく調べてみると、州議会は既に州民投票への途を承認しているのに、州当局がちょっとした手続きミスをやったため、裁判所が待ったをかけたと言うのが顛末のようだ。
***上記各州の内、例えばミズーリーやアリゾナなどでは、既に州法で中絶禁止が規定されているが、仮に、今回選挙の州民投票で、中絶を擁護する内容が採択されるとすれば・・・。州民投票の文言にも依るが、州法と州民投票結果、それらの内容が相反した場合、どう落とし前を付けるのか、筆者のような法律の素人には、結局はいずれ亦、裁判沙汰になるような予感もしてきてしまう・・・。

③では、2024年大統領選挙に、上記のような中絶問題を巡る動きが、どう響いてくるだろうか・・・。以下は最後の設問への現況解説である。

米国社会の中で、これまで中絶擁護の支柱を為していたのは、1973年の最高裁のRoe判決だった。そして、2022年に至り、その判決の重しを取り除き、中絶規制派にモメンタムを与えたのは、トランプ大統領指名の3名の連邦最高裁判事だった。彼らが導いたDobbs判決を切掛けとして、共和党保守派を中心に、全米各地で中絶禁止の州法を採択する動きが、益々強まってきている。だから、こうした状況下、トランプは当然、中絶禁止派にその実績を誇るかと思いきや、実際はむしろ逆に、今や中絶禁止派と距離を置こうと努力し始めているようなのだ。何故か・・・。

2024年3月に実施されたウオール・ストリート・ジャーナル紙の世論調査によると、中絶規制の動きが顕在化している状況下、有権者の個別案件への関心リストのトップに、不法移民やインフレ、海外での戦争などを抜いて、中絶問題が躍り出たという。しかもその関心は、中絶規制を強めるというよりは、むしろ逆に、何らかの形での中絶を認める方向への支持シフトだった。こうした有権者の関心動向に、大統領選候補者の陣営は、無関心ではありない道理。

トランプ陣営としては、トランプが女性を巡るスキャンダルに塗れ、更に都市部の女性票がトランプ離れを起こしそうな状況下では、既に中絶規制の強化・その全米への拡散の動きを現実に誘発させ、それ故目的を達成した今となっては、余りこれ以上、この中絶問題に留まっていたくないのだ。

だが、それはあくまでもトランプ陣営の身勝手な理屈。

対抗する民主党のバイデン陣営としては、あくまでも「トランプの手によって中絶規制強化が図られた」という攻撃材料を手放したくない。故に、「これ以上中絶問題に囚われすぎると、選挙戦術上不利。むしろ中絶以外の他の問題に有権者の関心をシフトさせたい」と考えるトランプ陣営と、中絶問題を大統領選挙の一つの争点とし続けたいバイデン陣営との間で綱引きが始まっている。

しかし、中絶問題を長年に渡りフォローしてきたNYT紙のDavid Leonhardt記者やRoss Douthat記者は、上記のようなバイデン陣営の中絶問題にスポットを当てる選挙戦略の有効性に、一定の限界があることを指摘している。
彼らによると、今回選挙の両候補者を有権者は相当程度既に知っており、有権者は、そんな既知イメージに基づいて、既に誰に投票するか決めている。そんな状況下では、単一の争点、例えば中絶擁護か、或は中絶規制かだけで、既に決めた、誰に投票するかの決意を覆すには足りないはずだと・・・(NYT 4月9日、或は4月10日など)。

筆者も、彼らの指摘はあたっていると思う。だが、一部の激戦州の、限界部分の僅差の勝負では、「中絶擁護か規制か」の問いかけは、結構有効な打撃力を発揮するのではないだろうか・・・。

恐らく、バイデン陣営の選挙関係者も、中絶問題が限界部分の効用しか持っていない、逆に言えば、そんな限界効用を持っていることは十二分に周知のはず。

だから、上述したように、トランプがニューヨークの裁判で身動き取れない状態の時を選んで、ハリス副大統領を前面に立てて、ペンシルバニアやジョージアといった激戦州に、中絶規制強化反対をテーマとした遊説を敢行させ、そうした遊説を通じて、女性問題で裁判に問われているトランプ像を有権者に再認識させ、以て彼の地の女性有権者やPro-Choice派を対象に、バイデン支持に向けた団結強化を図らせたのだ。

以上のような眼で見れば、激戦7州の内、とりわけ中絶擁護を11月に州民投票のアジェンダに載せさせよとする動きが強い幾つかの州では、このバイデン選対の“中絶擁護の立場の再強調”は、それなりに意味のあることだと、筆者は考えているわけだ。

以上、長々と論究してきたが、大統領選挙の直近を概観して、本稿を終わりにしたい。

周知のように、米国の大統領選挙は有権者の一般投票が決めるのではなく、一般投票はあくまでも、各州に割り当てられている選挙人(Electoral College)の争奪戦の結果を決めるもの。

全米の各州では、民主党支持の固い州:ブルー州と、共和党支持の固い州:レッド州とがほぼ固定しており、それらの州では、事前に、バイデンの得票が多いか、或はトランプの得票が高いか、ある程度は事前に想定が着く。つまり、事前に、両候補が獲得する選挙人の数が予想できる。

4月中旬にNYT紙が報じたところに依ると、大統領当選には選挙人の過半270名の獲得が必要。4月中旬時点での獲得数は、バイデン226人、トランプ219人だった。だから、選挙人獲得競争では、残り激戦7州での勝敗が全て。その7州とは中西部工業州のミシガン、ペンシルバニア、ウイスコンシンと、南部サンベルトのアリゾナ、ジョージア、ネバダ、ノースカロライナ。

何故、この7州が激戦州になっているのか・・・。

それは中西部の工業3州では、製造業が国際競争力を失い、それまで民主党支持で固まっていた労働者の一部(とりわけ、非大卒の黒人やヒスパニック、或は一部白人労働者)が、トランプ支持に回り始めているから。

サンベルトの4州では、北部や西部のカリフォルニアから、IT絡みの企業や工場の移入が相次ぎ、それとともに比較的リベラル指向の強い従業員達が大量に流入してきているから・・・。

つまり、中西部工業州では民主党の支持基盤に亀裂が生じ、南部サンベルトではリベラルな有権者の流入で、共和党有権者が多数だった、それまでの有権者構成が大幅に変調してきているから・・・。

直近、相次いで発表された世論調査では、相変わらずバイデン劣勢の結果が続出している。例えば、4月28日に発表されたNYTとSiena College・Philadelphia Inquirerの合同調査では、激戦6州中(どういうわけか、これまで入っていたノースカロライナが今回調査の対象から外れている・・・)、ウイスコンシンを除いて、全てトランプ優位の結果となっている。

しかし、この直近の調査結果を吟味すると、4つのことが明らかになる。

一つは、上述のように、バイデン支持率が依然伸び悩んでいること。激戦6州の内、バイデンが優位にあるのはウイスコンシン州(バイデン47%、トランプ45%)のみ、残りの5州では、いずれもトランプが優位。その主因に挙げられるのは、黒人やヒスパニック、さらには若者一般の、バイデン離れが著しいこと。

二つは、バイデンは不利だが、それぞれの州で民主党の上院候補達が健闘していることつまり、大統領候補バイデンは不評だが、上院選出馬の民主党候補達に対しては、彼ら(黒人、ヒスパニック、若者一般)の支持は離れてはいないこと。こうした角度でみれば、彼らのバイデン支持回帰をどう計って行くか、選挙対策者の腕前が問われる処。

三つは、この世論調査で、一般有権者(Registered Voters)が示した結果と、“必ず投票する”と答えた(likely Voters)有権者が示した結果に、面白い違いが生じていること。具体的に、一般有権者ベースと“必ず投票する有権者”ベースでは、トランプの対バイデン優位の差が、全体として微妙に変わるのだ。その結果、ミシガンでバイデン優位、ウイスコンシンとペンシルバニアでトランプが射程圏内に入る結果となる。

※一般有権者ベース→→必ず投票すると答えた有権者ベース

激戦州 トランプ バイデン
アリゾナ 49%→→49% 42%→→43%
ジョージア 49%→→50% 39%→→41%
ミシガン 49%→→46% 42%→→47%
ネバダ 50%→→51% 38%→→38%
ペンシルバニア 47%→→48% 44%→→45%
ウイスコンシン 45%→→47% 47%→→46%

***ウイスコンシンは、一般有権者と必ず投票する有権者層との間では、結果が逆転するが、恐らくそれは統計上の誤差の範囲内のことだろう。

もしバイデンが、今後の戦術宜しきを得て、ミシガン、ペンシルバニア(嘗て生活していたところであり、全米の選挙対策本部を置いている)、そしてウイスコンシンで、譬え僅差ででも勝利を得れば、それら州への選挙人の配分数から計算すると、現状劣位の選挙戦を逆転して、2024年大統領選挙戦には勝てることになるという。そしてこの3州はいずれも、中絶擁護派の勢いが強く、その一方では、黒人やヒスパニック、更には、白人労働者(若者を含む)のバイデン離れが顕著な州。

だからこそ、トランプがニューヨークの裁判で、スケジュール上、身柄を縛られているとき、バイデン陣営は、バイデン大統領の現職である立場を最大限利用し、ハリス副大統領に激戦州を回らせ、バイデン大統領には、全米自動車労働組合を喜ばせるような、中国からのEV輸入車に高率の関税をかける措置や、新日鉄のUSスティール買収を牽制するような発言をわざわざ現地で繰り返させたのだ。

更に亦、黒人差別廃止の象徴ともなっている、70年前の連邦最高裁判所判決:Brown V Board of Education判決を記念する会合を、黒人有権者層相手にワシントンやミシガン、ペンシルバニアなどで行ない、そんな折には、各州の黒人組織NAACP(National Association for the Advancement of Colored People)の会合に必ず顔を出し、亦、5月の中旬には、ジョージア州の、黒人が通うMorse House College での卒業式に出席、演説を行なってみせるほどのサービス振り。ことほど左様に、支持離れを伝えられる黒人やヒスパニック、更には鉄鋼や自動車労働者にすり寄る姿勢を強めいている。

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