「ひょっとしてハリ」の瀬戸際シナリオ、その成功可能性は…
2024年米国大統領選挙戦の、6月後半からの風向きは、まるで冬山の天候急変時のような荒れ方だった。
6月27日のバイデン対トランプのテレビ討論会で、バイデンが老人性の言い淀みや物忘れ症候をテレビの聴衆の前で露呈させてしまう。それが為に、バイデンへの支持率が急落、その悪影響が連邦上院・下院の選挙にまで及びそうになったとき、民主党内でバイデン降ろしの動きが大きくなった。身内からの、その種の撤退圧力は、人生の大半を政治にかけてきた老バイデンにとっては、何よりも辛いことだっただろう。
ほぼ同時期(7月13日)、バイデンには更に悪い事件が起こる。トランプが銃撃されたのだ。バイデン側が、「民主主義の脅威」と非難していた当のトランプが、選りに選って銃撃される。バイデンにとっては悪夢だったのではなかろうか…。銃撃されたトランプの対応も、亦、見事だった。突然の銃撃、耳を貫通した銃弾、顔に散った鮮血…。そんな中で、ファイト、ファイトと連呼してみせたのだ。トランプ曰く、「担架に乗せられ、退出するような姿だけは見せたくなかった」と…。いずれにせよ、これでトランプ人気は一段と高まった。
こうした状況下、民主党内の圧力の一層の高まりや、低下し続ける支持率の前に、バイデン大統領の為す術はなく、遂に7月21日、選挙戦からの撤退を発表、併せて、ハリス副大統領を支持する旨も公表するに至る。
暴走老人と物忘れ老人の不毛の対立に飽き、トランプの嘘と虚言に満ちたバイデン批判にあきれながらも、老齢故の弱さを露呈し続けたバイデンに気勢を削がれ放しだった民主党支持者達の沈滞していた選挙熱は、この候補者交代で一気に活性化した。それとともに、対立構図も、老人による老人攻撃の構図から、78歳の老人(トランプ:白人男性)対59歳の壮年(ハリス:黒人女性)の戦いに変質した。
先ず何よりも、この対立構図の急変は、トランプにのみならず、ハリス副大統領にも運が着いていたことを物語っている。ハリスは、突然訪れたバイデンの選挙戦撤退と、後継者を正常の手続きで選ぶ間もない時間の急迫のお陰で、言い換えれば、新しい候補の下で団結したがっている民主党員の期待が極めて高かったが故、あっという間に党内を纏めきることができた。
双方に訪れた運を、どちらがしっかりとつかみ取るかで、勝負は決する。そんな鉄則から占えば、ハリスも運をしっかりと手中にしたと言ってよかろう。
尤も、トランプは、銃撃されたことで生まれた自らの運を、7月の共和党大会で、無為に手放したようにも見える。己が銃撃され傷ついた。そんな中でこそ米国の団結と融和を打ち出す絶好のチャンスであったにもかかわらず、これまで同様の相変わらずの強硬姿勢で、民主党側を批判し続けたのだから…。
それに比べ、ハリスは運を手放してはいない。
バイデンからハリスへの、民主党側の候補者差し替えは、見方を変えれば、米国政界を覆い始めている世代交代の大波の表面化であり、亦、今回選挙で一番欠けていた、“希望や明るさ”を取り戻す動きにも繋がり得るもの。つまり、時代の期待に沿っている。
更に亦、本来、米国の有権者は、“バラ色の将来”を声高に叫ぶ候補者を好む。だが、今回の、これまでの老人対決は、一方が専制主義者だと攻撃すれば、他方はその攻撃者を、政治権力を使って己を陥れようとする張本人だとやり返す、いわば。この種のやり取りに、米国有権者の大半が何とも言えぬ空しさを感じるようになっていた。
そんな中での、民主党の候補者差し替えは、ハリス副大統領が黒人で、且つアジア系の女性であり、ハリス陣営が巧くそのイメージを打ち出せば、アメリカン・ドリームの体現者を創り出し得る可能性があることを示す。
加えて、ハリス候補の経歴が、カリフォルニア州の検事であり、且つ州司法長官であったことも、巧く使えば、裁判で脛に傷持つトランプへの、有効な攻め手になりうるだろう。このような、トランプとの対比での違いを明確に打ち出しうる余地が出来たのも、ハリスの幸運と言うべきではないだろうか…。
尤も、こう記すと、「そんなことを言っても、これまでは、ハリス副大統領の不人気ぶりが、マスコミを中心に、広く世間に流布されていたではないか」との声が聞こえてきそうである。だが、そんな時、歴史小説好きの筆者には、司馬遼太郎の「最後の将軍」の中の一節が、頭に浮かぶ。それは、将軍後見役の一橋慶喜が、それまで融通が効かぬ無能者と決めつけていた大老井伊直弼に、蟄居閉門を言い渡されるシーン…。司馬遼太郎はそんな時、慶喜に口走らせる。「組織における職責の機能を、自分は軽んじすぎていた」と…。
つまり、この比喩を用いると、副大統領候補と大統領候補とでは、重みが違うのだ。ハリスは今では、党員の希望を背に、最終的には党内の手続きを踏み、後は民主党大会の場での正式承認を待つだけの、文字通りの民主党のPresumptiveな大統領候補。それ故、組織内における重みや、有権者の認識、更にはその一挙手一投足の影響度が違ってきている。組織と個人との関係とは、結局はそういうことなのだ。他に誰も座を占め得ないような緊迫した状況下、トランプに対抗できる若い候補者を擁立したいという、民主党員達の切実な声を受けて、ハリスに正式なお鉢が回ってきたのだから…。
要するに、バイデンの撤退決意が、11月の本番選挙の100日前となった事情が、ハリスには幸いしたのだ。もし、バイデンがもっと早く撤退を決意していたら、民主党は正式に各州予備選から、同党の大統領候補指名の手順を始め直さなかったかもしれない。そうなれば、ハリスが指名を得られたかどうか…。だが、11月の本番の選挙を直前に控えた状況下では、譬え共和党から「民主党は民主主義の根幹である手続きを一切無視して、恰も専制国家のような手法で、候補者を差し替えた」と批判されようが、民主党にとっては、この方法しか起死回生策はなかったのだ…。そして、共和党側からの、上記のような批判が強ければ強いほど、その批判はハリス本人にではなく、そうしたやり方でハリス指名に賛成した民主党員一人一人に向けられたものだとのニュアンスが強くなる。つまり、そうした共和党側からの批判は即、逆に民主党内を引き締める効果を持つものなのだ。
直近の各種世論調査を見る限り、ハリスが急激にトランプを追い上げている。
しかし、とは言っても、8月初旬の時点では、その追い上げは、未だトランプを倒すほどには至っていない。例えば、8月5日付けの米国NPRラジオの、両候補の大統領選挙人の獲得予想では、ハリス側が確実(safe)に、或は、ほぼ当然(Likely)に、更には恐らく(Lean)、獲得すると見通される州の合計数と、当該州に割り当てられている合計選挙人の数は、19州(含むワシントンDC)、226名になるという。
対して、トランプ側が確実(safe)に、或は、ほぼ当然(Likely)に、更には、恐らく(Lean)、獲得すると見通されている州の合計数と、選挙人の合計数は、既に27州、268名に達するという。
要は、民主党側の候補が、バイデンからハリスに替わっても、州ごとのハリス対トランプの対立構造を見れば、全体としてのトランプ優位の構造そのものは、バイデンが候補だった時期と基本的には変わっていない。唯、そのトランプ優位の度合いは、大幅に縮まってきてはいるが…。
そうした構図の中で、勝敗が読みがたい、文字通りの激戦州として残されているのは、中西部の3州(ウイスコンシン、ミシガン、ペンシルバニア)。
NY Timesが8月6日に報じた処では、それら3州での両候補の支持率は以下の通り。
ハリス支持率 | トランプ支持 | |
---|---|---|
ウイスコンシン州 | 49% | 49% |
ミシガン州 | 49% | 49% |
ペンシルバニア州 | 47% | 49% |
上記NPRラジオの言いぶりによれば、winner take all方式を採っていない2州では、各候補への支持率に応じて、州に割り当てられている選挙人の数を比例配分してあるとのこと(メイン州:民主3名、共和1名、ネブラスカ州:民主1名、共和4名)。
大統領選勝利に必要な選挙人の数は270名。NPR報道をそのまま信じれば、ハリス側には44名不足。トランプ側には僅か2名不足。こう見れば、ハリスが如何に劣勢であるが印象づけられよう。
だが、ハリスの勝機は、上記中西部3州での勝利を追求し、勝つ、NPRラジオがLean(恐らくは)という範疇に分別した、サンベルト4州での支持率を一層高めることで、見いだし得るのではないか…。
つまり、言換えると、この段階でハリスが勝つための戦術は…、
①現状、接戦の中西部3州(ウイスコンシン:選挙人10名、ミシガン:15名、ペンシルバニア:19名)を全て勝つこと(それで選挙人数44名を得て、漸く270名丁度となる)が必須(この構図はバイデンが候補だったときと同じ)。
それに加えて、②トランプに靡きつつあった、それ故、NPRラジオではトランプが獲得するであろう(Lean)と見通されていた、サンベルトの4州(ネバダ:選挙人数6名、アリゾナ:11名、ジョージア:16名、ノースカロライナ:16名)のどこかを、何としても奪い返すこと。
ちなみに、8月5日時点でのTelegraph紙の情報では、サンベルト4州での両候補の支持率は、ハリスの急激な追い上げで、嘗てのようなトランプ優位は大きく縮小している。故に、この調査を信じれば、ここにも亦、ハリスの勝機があるということになる。
サンベルト4州での世論調査結果は以下の通り。
ハリス支持率 | トランプ支持 | |
---|---|---|
ノースカロライナ州 | 41% | 44% |
ジョージア州 | 44% | 46% |
アリゾナ州 | 44% | 43% |
ネバダ州 | 40% | 40% |
こんな状況の中、8月6日、ハリスは、ミネソタ州のワルツ知事を副大統領候補に選んだ。ワルツ知事は、中西部の裏庭でのバーベキューで出会うような、典型的な白人男性。60歳という年齢で、ハリス候補と歳も近く、生まれはネブラスカ州。ネブラスカ州兵として勤務した実績もある。こうした人物を自分のランニング・メートに選んだこと自体に、ハリス陣営がサンベルトの、現行ではトランプに傾いている諸州での支持率引き上げを狙っている様が伺えるというもの。
ミネソタ州は、前記NPRラジオの分類に従えば、Lean、つまり、民主党候補支持に回る確度は“恐らく”程度と判断されるブルー州。ハリス陣営としては、同州の知事を副大統領候補に指名することで、今なおLeanの段階に留まっているミネソタ州(選挙人10名)を、もっと確実にハリス支持に取り込むと共に、典型的な中西部白人男性の風貌を持つワルツの影響力を駆使して、中西部に拡がる共和党支持州、とりわけ、ワルツの生まれたネブラスカ州(前記注書きでも示したように、同州では、選挙人は得票数に応じて比例配分する:現状5名の選挙人の内、恐らく民主党は1名のみ確保と見通されている)での選挙人を、譬え一人でも二人でも奪い返すことを目論んでいるのだ。
加えて、ミネソタ州の西隣は接戦州の一つウイスコンシン、その地理的近接性を使い、「ウイスコンシン州西部の農村地域に、ワルツの影響力を及ぼし得る」との計算も働いているとみるべきだろう。そして更には、アリゾナやネバダには、ワルツを通じての中西部白人対策を講ずると共に、ハリスは自らの黒人ルーツやカリフォルニア出身を売りに、これら地域に西部から移住してきたIT絡みの技術者層にも、積極的なアプローチを展開しようとするだろう。
ハリス陣営は7月末から8月初旬にかけて、バイデン大統領が構築していた、これまでの選対の組織や指揮系統を大幅に変更、新たに、オバマ大統領やクリントン候補の選挙に従事したベテランを新規起用、それらの総括指揮をオメリー・ディロン女史が取る体制に替えた。
そして、こうした新体制への切り替え、今回の民主党副大統領候選定、その後の民主党大会でのハリス・ワルツのコンビの正式化、或は、その後に予定されていた9月10日のABCニュースでの2回目のテレビ討論などは、いずれもマスコミの脚光がハリスに中るイベントとなる。
つまり、逆に言えば、トランプにとっては、それらは不都合な催し物。
だからこそ、トランプは、ハリスに代わり、自らが脚光を浴びるような出番を次々と創り出し始める。7月30日に民主党の牙城とも言うべきシカゴに乗り込み、黒人団体主催の会合に臨んで、「ハリスは、今頃になって、己の黒人であるルーツを言い張り始めた」と、挑発的なコメントを行ない、更に、バイデンが相手だったときに取り決めた、上記9月10日開催予定の、ABCニュースでの2回目のテレビ討論を、一方的にキャンセルすると宣言、代わりに9月4日のFox ニュースでのテレビ討論を逆提案(開催地はペンシルバニア州)するなど、色々手の込んだ話題造りにいそしんでいる。
9月4日といえば、数日経てば、幾つかの州での11月の選挙に向けた郵便投票が始まる頃。トランプも、よくまあ、次々と色々なアイディアを出してくるもの…。彼は、真に、本性からの交渉好きなのだろうと、改めて思った次第。
そういえば、トランプ自伝という本の中に次のような一節があったのを思い出した。
「マスコミについて私が学んだのは、彼らは何時も記事に飢えており、センセーショナルな話しほど受けると言うことだ…。要するに、人と違ったり、少々出しゃばったり、物議を醸すようなことをすれば、マスコミが取り上げてくれるのだ…。宣伝の最後の仕上げは『はったり』である…。人は、大きく考える人を見ると興奮する。だから、ある程度の誇張は望ましいのだ…」。
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